マチュピチュではないけれど(甲州街道を歩く5)

f:id:tochgin1029:20161224131502j:imageスタートした相模湖駅の周辺は、かつての与瀬宿にあたる場所のようです。が、あまり特徴のある建物もないあたりは、パッと見は何の変哲もない駅前の風景です。それよりは、宿場を抜けて近くに見えてきた相模湖の眺めがとても印象に残ります。なにしろ、このあたりの集落は、すべてといっても過言ではないほど、山の斜面に張り付いたように広がっていて、そんな場所だからこそ遠くの景色は最高の眺めです。中山道では木曾谷を歩きましたが、木曾谷では集落もまばらだし、谷あいの限られた場所にだけ人家はありませんでしたが、このあたり、斜面の上から下まで人家がとぎれなく建っています。ただ、そんな山間の集落をぬう道はなにが旧道なのかそうでない道なのか、とても紛らわしく、吉野宿まで道に迷ったようです。近くには中央高速が通っていてもあてにはなりません。やっと道がわかって旧道に戻ってみた相模湖の景色はほんとうに綺麗でした。道に迷うのも悪くはない。そう思う瞬間です。

f:id:tochgin1029:20161224131644j:image坂を下りて高札場を過ぎれば、そこはもう吉野宿です。こちらは賑わいとは無縁の静かな宿場です。本陣跡がのこ周辺には資料館があって、中に入ると資料館の管理人のおじさんが、いろいろと教えてくれました。なんでも、このあたり小仏~上野原までの甲州街道にはこちら表街道とは別に裏街道というのも存在したそうです。陣馬山の反対側にある和田峠という峠を越えて通う裏街道は宿が一か所しかなくて、上野原の商人たちはむしろそちらを好んで利用していたのだとか。小仏から上野原までは至近距離に宿が散在しています。宿駅ごとに荷物を運ぶたび運賃を払うのは、商売人にとってばかになりません。そうして盛んに利用された裏街道と表街道とは争いごとにもなったそうです。また、このたてものの2階では養蚕の展示がされています。かつては、ここでも養蚕業が盛んでした。そういえばかつて通った八王子は、織物組合が残る織物業で盛えた町でした。関東の山間で作られた生糸が、里の街に下りてきて織物となる。関東で盛んだったこのシステムの一端がよくわかります。f:id:tochgin1029:20161224132336j:imageそして、資料館の窓から裏を眺めると、よく相模川の流れが見えます。おじさんによれば、このあたりの木材は、筏を組んで相模川にながせば、茅ケ崎のあたりまで動かすことができます。さらに、茅ケ崎から船に乗せ換えれば、海上から江戸に運ぶことが可能で、陸を運ぶよりも効率がよいわけです。中央線や中央高速と現代の交通路を基準にして古の交通路を想像すると、相模湖や藤野だけ神奈川県にあたることがとても不思議なのですが、なるほど相模川の水系を基準に考えるととてもわかりやすいですね。

ここからも、谷間の道を上下にアップダウンする山あいの道は迷いやすくて、方向感覚がマヒしてきます。神奈川県と山梨県の県境もそんな谷あいの場所です。そして、その谷を登る途中には諏訪の関所跡が存在します。そして相模国から甲斐の国にはいります。

f:id:tochgin1029:20161224132019j:image谷底の県境を上りつめて現れた台地の上に、上野原の街は現れます。そしてその台地上の空気感は、川沿いと森の間をぬける湿度の高い風景から、湿度の低い乾いた台地に突然に変わるのです。国が変わったことを実感させます。この街には大ケヤキがあるそうですが、見に行った大ケヤキはちょっと期待外れだったかな・・・。f:id:tochgin1029:20161224132234j:imageその上野原からは鶴川までわずか2キロなのですが、その間には川がながれていて、渡し船でしか渡れませんでした。上野原の台地から降りて川を渡ります。それを超えた鶴川の宿は、おいてきぼりを食らったようなちいさな集落ですが、それだけにかつての宿場風情を想像できるように、道の両側に家がならびます。この鶴川の宿のはるか上を眺めれば中央高速が通っていて、同じ高さにも人家らしき建物があります。どうやらここからの行程は上り道で、登った先にも集落が広がるようです。

f:id:tochgin1029:20161224131329j:image鶴川から野田尻までの道は、台地をのぼりながら、それぞれの台地に広がる集落を、ぬうように通る工程で、それはとても不思議な印象なのです。台地と集落を通過しながら上を見れば、そのまた上に台地と集落が広がっている繰り返し。その光景は、マチュピチュというよりも、映画「燃えよドラゴン」で、ブルース・リーが刺客を倒して階段を登れば、階上の部屋には、また別の刺客が現れれる。その繰り返しと似ているなと思いました。そして、登り切ったさきにある大門の集落は山の尾根筋に広がった集落で、この集落の上にもう集落はなくて空がほんとうに広い。f:id:tochgin1029:20161224131401j:imageここから1キロほど西に向かえば野田尻の宿につきます。野田尻はとても静かな山あいの集落で、今日の行程はここまでです。このあたり、中央高速談合坂SAの至近距離です。SAというのは自動車を乗り入れるのでなければ、高速道を利用しなくても入れます。そのままSAで休憩しました。が、ここから四方津駅までのバスは一日2往復しかありませんでした。f:id:tochgin1029:20161224131234j:image山かげに沈もうとする太陽と競争するように、2キロさきの四方津駅に戻ります。けっして過疎地ではないはずですが、四方津駅は谷あいの小駅といった風情で、まわりにはなにもありません。

四方津駅といえば、ここから延びるエスカレータで「コモアしおつ」という、まるでマチュピチュのようなニュータウンがあるらしく、見てみたいのですが、それは次回のお楽しみとします。それにしても、次回にはここから歩いて野田尻宿まで行くかと思うと悩みではあります。