平治物語を読む(軍記物のおもしろさ2)

 軍記物の続き、前回に保元物語に続いて読んだのは平治物語平治の乱を取り上げてたはずが、源頼朝の賛美にトーンが変わってしまう摩訶不思議な展開となっています。

 その頼朝賛美をのぞけば、この物語の主題は源義朝の悲哀です。保元の乱では勝利したものの、義朝本人にとってまったく喜ばしい勝利ではなく、兄弟は失い、父親は自らの手できらねばならなかった。その苦々しさが平治の乱の伏線となっています。
 その義朝の動機は一方で、貴族の視点からは、法皇の寵臣の二人、藤原信頼信西の対立から起きたクーデターです。清盛が熊野詣で都を留守にする間に、信頼の企てにのった義朝の軍勢が、あっという間に宮中を占拠する。察知して逃げ生きたまま地中に隠れていた信西(本当か?と思いますが・・)を見つけては首をさらしものにする。首謀者の藤原信頼については、この物語のなかでは、徹底して愚かな人物として描かれています。宮中を占拠した彼らは、やがて、藤原信頼側の武将たち、義朝をはじめとして○○守など官位を乱発していきますが、そういった官位など認めないとする、内裏での藤原光頼の勇気のある行動や、上皇法皇が宮中からの脱出に成功したところから事態は一変し、藤原信頼源義朝は賊軍に変わります。
 源氏方すべてが、藤原信頼に属していたわけではありません。例えば源頼政は官側についています。物語のなかで、義朝と頼政六波羅の合戦で出会います。なぜに平家に味方するのだと、頼政を詰る義朝ですが、なぜ愚か者の企てに加担したのだと頼政に返されて、義朝は返す言葉がありません。敗れた藤原信頼源義朝は、京都を離れ東に逃げることとなりますが、怖気づく信頼のみっともなさを見て、なぜこんな愚か者に加担したのだと義朝は後悔をする。その義朝も家人だったはずの長田父子に裏切られ討たれる。義朝については、戦には慣れていても、どこか思慮の足りなさから身を滅ぼした人物のように描かれています。

 それと対比されるように、物語の後半部は、頼朝の思慮深い行動がつづられていきます。死罪となるはずだった頼朝が、池の禅師の助力を自ら勝ち取りを長らえていくまでの経過。父の義朝を切った長田父子を、なにくわぬ顔で味方に引き入れながら、合戦が終わった後になぶり殺しにする頼朝の思慮深さが称えられ、なぜ源頼朝が、新しい権力者の始祖となった理由づけになっています。
 平治物語が成立した鎌倉幕府のころは幕府の運営も安定したころで、平治物語の世界は保元物語もふくめて絵巻物にもなっています。京都にいる王朝とは異なる、鎌倉幕府という革命政権の世界観が伝わりますが、それがけっして源頼朝ひとりの神格化と繋がっていないところが、後年の徳川家康とは異なるように思うのです。