かんばん方式も回せない

 今週のニュースでは、ヤマト運輸が増大するネット通販の需要に運び手が追いつかず、運賃の値上げやサービスの縮小を行う。というニュースが流れていました。これを日本式のかんばん方式の終わりの始まりととらえている方もいて、なるほどなと思ったのでした。
おもいだせば、かんばん方式というのは限られたリソースを効率的に動かすための仕組みのはずでした。代表例はトヨタ自動車の生産方式で、日本を代表する企業としてトヨタの名が挙げられてくるようになったのは、ちょうどバブル経済が崩壊して、世間がやたらに世知辛くなってきた時代とマッチしていたからだともいえます。意地の悪い言い方をすれば、すくないヒトのリソースをいかに効率よく使い倒すか?という命題です。

団塊の世代がリタイヤした後に、現在の街場に起きはじめていることは、かんばん方式を回すことさえままならなくなるほどに、ヒトのリソースが減ってきていることなのだと思います。ヤマト運輸で起きたことは、その象徴的な出来事なのではないでしょうか?高度経済成長の経済モデルは、すでに50年もまえに終わったことですが、そんな企業社会の構造はそれぞれの企業の「仕事の動かしかた」の中にいまだに残っています。
 日本では、生活保護の申請は恥ずべきことで、失業率の低いことは良しとされる。失業率の高い欧米諸国と比べて失業率の低いことは、とかく誇らしく語られるけれど、本当にそうなのだろうか?とも思います。失業率の低さは、悪い意味で社会における労働力の「ゆとりのなさ」を表しているように思えてなりません。