ぶどう棚の道(甲州街道を歩く9)

f:id:tochgin1029:20170523233755j:image 甲州街道の歩きは、前回は勝沼まででした。それから1か月が空いてまごまごしているうちに、春は過ぎて初夏になっています。1か月ぶりにおりた勝沼ぶどう郷駅におりると、あたりの風景は、4月よりも濃い緑色に変わりました。甲州街道勝沼宿から勝沼ぶどう郷駅までの離れた距離を歩くのは、前回はつらかったのですが今回はその逆。体力は十分だし、延々と葡萄畑が続く途中の道も快適に歩けます。ブドウの実はまだ小さな緑の小粒。農作業もいまが盛りらしく、手入れをする農家の人たちの姿を眺めることができます。f:id:tochgin1029:20170523233911j:imageJRの駅と離れた勝沼宿のあたりのほうが、古くからの街です。途中には田中銀行という建物があり、意外とモダンな建物とか寺社もあります。大善寺を見学したときに、この地のぶどう栽培の歴史の古さにびっくりしたのですが、この勝沼は、おもったよりも歴史の深い町であることを知りました。
f:id:tochgin1029:20170523233937j:image 街はずれには古い神社があり中に入ります。境内には大ケヤキの木がそびえていて、本堂へお参りします。ただし、本堂には、最近話題となった「日本人にうまれてよかった」という神社本庁のポスターが掲げられていて困惑します。日本人だろうが日本人でなかろうが、この世に生まれてくることに優劣などないのだから、このポスターがいわんとしているメッセージは、わたしは間違っていると思います。そして、この土地の精霊たちは、きっと日本人だから護るとか外国人だから護らないわけではなく、この土地を通り過ぎる人たちすべてだろうなと。この神社のお参りを拒否することもできたでしょうが、わたしはあえてお参りしました。「日本人だろうが日本人でなかろうが、この神社をおとずれるすべての人が護られるように」と。f:id:tochgin1029:20170523234004j:imageこの近くには萬福寺という、相当に歴史の旧い寺もありました。残念ながらあまり境内の手入れは行き届いていないようですが、ほかにもこのあたりには寺社が点在します。笹子峠から甲府盆地へ、山地から平地へと切り替わるこのあたりを良く眺めると、そうとうに古くから開けた土地であることがわかります。
f:id:tochgin1029:20170523234125j:imageここから、栗原宿までは、だいたい3~4キロくらいです。宿場町に由来するような古い建物もそれほど残っていないこの集落は、一見すればなんの変哲もない街道沿いの集落です。そういえば街道そいには、食堂チェーンの大戸屋 創業者の生家というものもあります。この甲斐の国は、やっぱり商人の国なんだなあと思います。そういえば中山道の旅では湖国を巡りました。近江の国も近江商人と呼ばれる商人の国でした。この甲府盆地の光景もどこか近江の国に似ているような気もします。近くのコンビニで休憩すると、あたりは自転車でひまを持て余している地元の中学生が居ます。自転車で中学生がふらふらできるのもあたりが平地だからであって、坂の多い山間部だと自転車でふらふらはできませんね。こういう中学生の光景は、平地の集落に特有に思うんです。
f:id:tochgin1029:20170523234102j:image ここから石和までの道は笛吹川がそばに寄ってくる道になります。川にはあまり水は流れていませんが、松並木を越えれば、堤防のわきに笛吹権三郎という少年の碑があります。この笛吹権三郎という少年、洪水によって生き別れた母親を探してあきらめきれず、自らも洪水によって死んでしまったそうです。笛吹川という名前もここからら採られているそうです。いまでは、非業の死者を供養するという習慣は薄れたのかもしれません。さらにすすむと廃墟のような古い建物のテアトル石和という映画館があります。つぎつぎに客が出入りしています。これを過ぎれば石和の本陣跡です、この付近には公園があって足湯があり、しばし休息。
f:id:tochgin1029:20170523234251j:image それにしても、この日は真夏のような高気温でした。そのせいか、石和から甲府までの道は、とりたてて述べるようなものがない変哲のない郊外の道です。ただ、わき道の行き止まりをのぞけば、行き止まりにはお寺が建っています。有名寺院ではないのですが、甲府盆地のあたりはさりげなく寺社が多いようです。
f:id:tochgin1029:20170523234207j:image 街道から少しそれて、甲斐善光寺に立ち寄りました。この甲斐善光寺は長野に比べればまったく無名なのですが、本堂の建物の大きさは信州となんら変わりがありません、むしろこちらのほうが、付近に高い建物が存在しないぶんだけ、あたりの景色に与える存在感や威圧感は、信州の善光寺よりもすごいと思えます。もっとも、参拝客の数は比べるまでもなく、こちら甲斐の善光寺は参拝客もぽつりぽつり。胎内くぐりという本堂の真っ暗やみをぬけるところも信州の善光寺と同じなのですが、客が少ないぶん、右左どっちに進めばよいのかわからない不安感や怖さはこちらのほうが上かなあと思います。
f:id:tochgin1029:20170523234228j:image 善光寺から街道筋に戻り、甲府の市街地に向かいます。日曜の甲府の市街地は見事なまでのシャッター通りと化しています。そして通りを誰も歩いていないのですね。市街地の道路にはなるほど歩道橋が多くて、たとえば老人にとっては、気の毒なくらい歩きづらい場所です。そんなのも、誰も通りを歩いていない市街地の理由のひとつではないでしょうか?甲府柳町の宿には、なかなか本陣跡らしき場所もみつかりません。しかたなく、身延山に向かう街道との追分で、本日の行程を終わりにしました。すこし、甲府盆地の歩きは変化が乏しかったようにも思います。ここからさきの道は、だんだんと標高が高くなっていくはず。きっと、高原の良い景色も眺めることができるでしょう。