どこまでも杉!杉!杉!(北関東の諸街道5)

f:id:tochgin1029:20171203120415j:image 前回の歩きから3週間、再び楡木駅へ向かう東武線の車窓には濃淡さまざま赤や黄色、緑色が入り混じった里山の景色が見え、心の底からきれいだと思いました。車中の高校生たちはもっぱらスマホいじりに夢中で、景色など興味なしといった姿ですが、自分の高校生のときもまあそうだったよなと思い返します。降り立った楡木駅とその周辺も同じで、空の青と緑や赤黄色が対比する景色をきれいと感じるのも同じです。
f:id:tochgin1029:20171203120743j:image 例幣使街道そのものはここでは国道となっていて、広い通りを自動車が過ぎていますが、それほど歩くのに邪魔になるほどではありませんが、宿場町とその他の集落の間に違いがあるわけでなく、楡木宿の次は、奈佐原宿があるらしいですがどこが宿場なのかはっきりとはわかりません。でも沿道でちらほらと眺めることのできる紅葉は美しく、すでにこのあたりでは杉の木が沿道に点々と立ちはじめています。大谷石の産地が近いこともあって、古い蔵はこのあたりでは、土蔵ではなくて大谷石でつくられた蔵がぽつぽつとしているのも面白いですね。f:id:tochgin1029:20171203120818j:image淡々と歩いたあとで、鹿沼の宿場町に到着しました。新鹿沼のあまりぱっとしない駅前とあまりぱっとしない商店街で、なぜか近所の人たちが集まっていて、それは不思議な光景です。なにかというとどうやらイベント兼特売セールのようです。軒先で売られている商品の多くはどれも100円で売られています。前回にあるいた栃木の街ほどではないですが、ほどほどに人が歩いている町中を見かけるのは心がなごみます。街中には公園があります。公園のなかで、無料で入れる旧家では紅葉がきれいですが、隣には山車会館という建物があります。中に入るとさっそく説明員のおじさんが丁寧に説明をしてくれました。その彫刻のすごさにびっくりしたのです。f:id:tochgin1029:20171203120955j:image入館すると、複雑に彫られた彫刻の複雑な意匠にびっくりするのですが、メインは館に展示された3台の山車です。隣の栃木でも秋に大きな祭りがあって町中を大きな山車が練り歩きますが、鹿沼でも大きな祭りが秋にあって、町それぞれ趣向をこらした山車が競うように練り歩きます。けれど、それぞれの山車の意匠は、鹿沼ならではのオリジナルな特徴があって、それぞれの山車にきらびやかな彫刻が飾られます。兎や鳥や唐獅子、そして龍が描かれたさまざまな彫刻は、まるで東照宮の陽明門を彷彿とさせるようなもので「動く陽明門」とも称されるそうです。それもそのはずで、江戸の当時に陽明門を作るために、日光にはたくさんの彫刻師が集められます。そして、陽明門が出来上がったあと、この鹿沼や付近の各地に彫刻師が移り住んだのが基になっているそうです。f:id:tochgin1029:20171203121033j:image3台の山車のうち1台は塗装がされた彫刻ですが、あとの2台は無色のままです。これは天保年間のあたり「贅沢禁止令」によるものらしく、その当時に華美な祭りが幕府のお達しで禁止されたことによる影響です。ですから天保年代をはさんで制作された1台の山車は、天保年間を過ぎて制作された彫刻部が無塗装ですが、天保前に制作された山車の本体は漆で塗られ、その対比が面白いと思いました。彫刻の作り方はどれもひとつの木から掘り出されるもので接着や接合の作業はありません。展示にはその製作法も展示されていましたが、簡単な下絵ひとつで立体的な造形を作り出していく力量には驚くし、そのスキルをもつ人たちが集団となって東照宮の造営に携わったこと、その地力のすごさにもあらためて驚くのです。
f:id:tochgin1029:20171203121425j:image その鹿沼の街を過ぎて、黒川の橋をわたると平地は終わって、台地の上を街道は通るようになります。次第に沿道には杉の木が増えてきて、鹿沼と日光の市境のあたりに立っている、杉の寄進碑をすぎて、本格的に杉並木が始まります。
f:id:tochgin1029:20171203121454j:image 杉並木といっても、歩行者は両脇の杉の間をあるくことはできなくて、その場所はほとんどが自動車のための道となっています。現代の歩行者は杉のわきに通じる細道を通りぬけます。f:id:tochgin1029:20171203121517j:imageその杉の並木の存在感は圧巻で、杉が並んだその空間は、沿道の景色とは遮断される傾向にあるようです。なので、杉並木のどこを通って写真を撮っても、あとで見返せばその写真はどこも同じような風景なのですね。それでも、途中の宿場町の部分では杉の並木は途切れます。その文挟宿のあたりで昼食をとります。立ち寄ったそば屋は夫婦で営んでいるようです。こういった場合、いつも夫婦で喧嘩をしているような雰囲気のお店も多いですが、このそば屋の夫婦はなごやかにおしゃべりをしていて仲良し夫婦のようです。
f:id:tochgin1029:20171203121602j:image その文挟宿を過ぎれば、また杉並木が始まります。この時期、山かげに太陽が沈もうとする時間は、いつも焦りだします。とりわけこの杉並木沿いの道は、人影もないし夜間にあるくのは怖い場所です。このあたりで木の間から眺める外の景色は、とても淋しい景色に見えます。板橋宿を過ぎると、その先は杉の木の痛みが激しいようで、痛みを防ぐため車両通行止めになっています。思いがけず、杉のあいだを独り占めして歩くことができました。
f:id:tochgin1029:20171203121645j:image 誰もいない杉の道を延々と歩いていると、深い緑に包まれた杉の並木の中の空間というのは、並木の外の空間とはあきらかに遮断される効果があることに気が付きました。杉によって遮断された空間は、このまま日光まで続いています。どうやらこの杉並木というのは、東照宮に祭られた東照大権現こと徳川家康の、権威やご威光を演出するための大掛かりな装置なのだと気づきました。この道を通り東照宮に向かう人々にはこのあたり、杉の景色のほかにはなにも眺めることはできません。ながめることのできるのは、ただ杉の道の終点にある東照大権現のみです。もともとあった東照宮が、きらびやかな姿になったのは徳川家光の代になってのことで、この杉並木も徳川を神格化させる東照宮の造営事業の一環なのだということです。
f:id:tochgin1029:20171203121703j:image 今市に近づけば、右手にも別の杉並木が近づいてきます。宇都宮からのびている日光街道の杉並木です。そして合流地点には地蔵堂がありました。今日の歩きはここまで、次は東照宮の終点に到着です。