徳川の道(北関東の諸街道6)

f:id:tochgin1029:20171224160339j:image例幣使街道の歩きも、今市まで到着すればあと少しというところ。今回はJR日光線を使っての移動です。車中には日光線各駅の高度が記された路線図が掲げられています。始発の宇都宮では標高は100m台ですが、日光駅だと高度は500mを超えるのですからけっこうな高低差です。前回の歩きでは真っ暗やみで、日光の山々など眺められませんでしたが、一か月を過ぎて今市駅に降りれば、景色のうしろに雪の混じった日光の山々が鎮座しているのがよくわかります。同じ高山でも、壁のような信州の日本アルプスのそびえかたとは少し違い、個々の山が独立してそびえている印象です。この例幣使街道の歩きは、大田から足利、佐野、栃木、鹿沼、今市そして日光へと、歩くにしたがって、なだらかな女性的な山々から男性的な地形へ移り変わるさまを眺めるのがおもしろいです。
f:id:tochgin1029:20171224160317j:image それまでの街とおなじように、今市も街道沿いに古い町が広がっています。街のなかには二宮尊徳神社がありました。神社の入り口の、出来たばかりの木像は、チェンソーアートコンテストの優勝者の手によるものとのこと。この木像がまるで円空仏のようにも見えます。のみひとつで木片から仏をこしらえていった円空と一本の丸太からチェンソーひとつで像にしたてていく作者の姿がかぶるようです。今市のこの地は、二宮尊徳が晩年を過ごした地だそうです。すぐれた改良家の尊徳はリアリストのはずなのですが、世間に広まったのは薪と読書の少年金次郎の像で、彼の改良家としての事績とその本質は、たぶん誤解されているのだと思います。かんたんな朝飯で出かけたので、すぐにお腹が空き、道端の道の駅にかけこみます。この道の駅は、作曲家の船村徹の記念館が併設されていて、貸し切りバスもぽつぽつと停まっていますが、実際に広場でかけられているのは船村徹とは関係のない、いまのヒットソング。かれが作った演歌の数々が示す世界と、いまの世間はあまりにもかけ離れてしまったのかもしれません。
f:id:tochgin1029:20171224160446j:image 今市の街を抜ければ杉の並木と再会です。歩行者専用となっている並木道は歩くのには快適ですが、途中で行き会うのは地元の人たちばかりで、日光には多くの観光客が訪れても、杉並木を歩くのは意外に不人気?なのですね。木の隙間からながめる外の景色は淋しげです。今市と日光の街がそのまま続いているものと思い込んでいましたが、そうでもないようです。新政府軍の砲弾を受けた杉の木が枯れずに残っていました。説明板には戊辰戦争のころ旧幕府軍が日光に立てこもったといういきさつもあったようです。このあたり東武線とJR日光線が至近距離で、両脇を車両が通過していきます。
f:id:tochgin1029:20171224160504j:image 杉並木が途切れたあたりは、ちょうどJRと東武線の日光駅が並んで建っています。JRの日光駅はクラシックな洋館風な作り。東武日光駅はいかにも戦後の観光ブームのさなかで建てられたような山荘風の建物です。外国人の避暑地であり別荘地であったことからくる洋風のイメージと、徳川の霊廟であることからくる和風のイメージが混在して現在の日光のイメージを形作っています。が、洋風と和風のまったく異質なものがなんの疑問もなく共存できてしまうことって、よくよく考えてみれば不思議なこととも思ったりします。数々の観光客が歩く日光山を目指す道は、両脇にゆば料理を出す店が点在しますが、どうも値段が高くて手がでないなという印象でした。神橋のあるあたりを抜ければ、いよいよ日光山に入ります。
f:id:tochgin1029:20171224160858j:imageどうして徳川の霊廟がこの地に建てられたかは、風水とか吉凶とかいろいろな俗説があります。そういったものにはまるで興味はないのですが、この場所から日光山の方角を眺めると、なぜこの場所に霊廟が建てられたのかも分かるような気がします。日光駅のあたりから日光山の方角を眺めると、左に男体山を、右に女峰山を従えるように真ん中に日光山が位置します。そしてその方角からは冷たい風が流れています。ひんやりした空気が絶えることなく供給されているかのようです。広すぎてすべてを回ることはできませんが、輪王寺東照宮を見学しました。f:id:tochgin1029:20171224160939j:image輪王寺はちょうど、大改修工事をやっていて、いまでは本殿すべてがカバーに覆われています。その巨大なカバーには7階に上り展望ができるようになっています。f:id:tochgin1029:20171224161017j:image東照宮は、陽明門のぎらぎらとした意匠は、かつては悪趣味の代表のようにも思っていましたが、きらびやかな海外の仏教寺院などを知るにつけ、いまでは、陽明門をそれほど悪趣味とも思わなくなりました。ただ、全体として東照宮の全体を眺めてみると、この建物のありようは、まちがいなく霊廟なのだな。と思いました。女峰山や男体山といった霊山を、そして輪王寺二荒山神社といった寺社を従えるように建つこの地は、世俗の世界と宗教界をも従え、それまでの日本史上にないほどの権力を持ち得た「徳川の世」を表象する場所そのものです。
f:id:tochgin1029:20171224161119j:image さて、行きは例幣使街道を通って日光にたどりついた例幣使たちの帰りは、日光街道を江戸に向かったとのこと。この後は、故事にならって今市から日光街道を上ることにしましょう。帰り道を日光駅へ向かう道は、そうとうな下り坂になっています。行きには気が付かつかなかっただけで、そうとうな上り坂だったようです。距離のわりに時間がかかったように思われたのはそのせいでもあったようです。宇都宮へ向かうまで、快適な下り坂が続けばと思うのですが・・・。