鬼怒川を渡る(北関東の諸街道8)

f:id:tochgin1029:20180212205208j:image前回の歩きでは日光から宇都宮まで到達しました。かつての例幣使はここから江戸に向かったのですが、ここから日本橋までの道のりは単調な道のように想像ができます。まっすぐ日本橋には向かわずに、一旦は白河を目指す奥州街道の道を選びました。
 前回の宇都宮の街は暗やみでわからなかったけれども、今回は、ようやく伝馬町の本陣跡の看板の向かいに、日光街道奥州街道の追分を見つけることができました。けれど宇都宮の街中では旧道の案内は素っ気ないものです。あらかじめ調べておかなければ旧道筋を忠実に歩くのは困難なようですね。
伝馬町からはオリオン通り馬場町とか、旧くからの宇都宮の繁華街をたどります。ただし、朝の時間では飲食店はまだ準備中ばかり。眺めるように店の脇を通り過ぎます。
f:id:tochgin1029:20180212204707j:image駅前の大通りを離れるとまもなく田川を渡り、幹線道路にぶつかります。広い幹線道路を自動車が通り抜けていくその片隅に古い文化財の建物が残っています。
旧篠原家住宅とよばれるその建物は、重厚な作りで中に入ります。案内のおじさんによれば、この建物は敗戦の1か月前に起きた宇都宮空襲を奇跡的に逃れた建物のひとつだそうです。危うく解体されそうなところを市が購入し開放したそうです。建物の中心には太い柱が天井まで伸びています。この建物は3.11の大震災でもびくともしなかったほど堅牢だったとのこと。そんな空襲を受けた宇都宮ですから街中にはあまり旧い建物は残っていません。市街地を過ぎると自動車が切れ目なしに通る殺風景なバイパス道を進みます。
f:id:tochgin1029:20180212204746j:imageようやく市街地を30分ほど歩いていくと住宅がすくなくなり、すき間から原っぱや林が見えるようになってきます。途中にはまたしても杉の並木!日光のうんざりするような杉並木を歩いてきた身には「やめてくれ!」とでも叫びたくなるほど拒否反応が起きてしまいます。
さらに進めばようやく車も少なくなりバイパス道とも離れていきます。そして、落ち着いた道中になるとまもなく坂を降りていきます。それまで台地の上を歩いていたことが分かります。坂道を降りたあたりが白沢宿です。
f:id:tochgin1029:20180212204822j:image旧い建物こそ残っていないのですが、この白沢宿のあたりの集落は、街道わきに水が流れ水車が回っています。それぞれの家にもかつての屋号が掲げられています。このような旧宿場町のたたずまいそのものは、それまで例幣使街道にも日光街道にもなくて、中山道の宿場町にみられた光景です。懐かしくなりました。そして宿場の奥には白髭神社という神社が鎮座しています。長い階段を上ると、神社の境内からは、鬼怒川の流れは見えなくても河原が広く伸びているさまを眺めることができます。それまで歩いてきた台地から、白沢宿に降りたときに、あたりの空気が一変したように感じられたのは、鬼怒川の河原から吹いてくる風のせいだったようです。そして鬼怒川の河原に向かって進んでいくと、左手には巨大な那須岳が見えます。台地から河原へと下りて行き、景色が一変する様は、そうとう劇的だと思います。
f:id:tochgin1029:20180212204847j:image 鬼怒川の河原から阿久津大橋を抜けて氏家の街を目指します。ここでも、あたりはまったくの車社会。旧道はバイパス道にさえぎられる始末。バイパス道を危険と知りつつ横断する年寄りの姿をいくつも見かけました。あまりにも道路が自動車の通行に合わせたつくりになってしまっています。それでもバイパス道を離れれば、沿道には古い社や地蔵などが残ります。
f:id:tochgin1029:20180212204913j:image氏家は、今となっては骨董品のような商店の建物ががたくさん街道沿いに残る旧い街です。いかにも「ザ・昭和」といった趣です。この日は雛まつりにちなんだイベントが行われていて公開されている旧家をのぞいてみました。ここには大谷石の建物はなくて、望楼の造形にはどこか欧風の趣があります。さほど保存状態は良くないようですが。
ここから喜連川までの道も、交差するバイパス道には、やはり自動車の長大な列が伸びています。次第に目の前に広がる丘陵の帯が近づいていきます。持参した2万5千分の一地形図では、このあたりの地形は、一定の間隔をおいて平行に流れている川の間を、これまた丘陵が平行に伸びています。向かうのはそういった丘陵の一つです。
f:id:tochgin1029:20180212204937j:image 丘陵をのぼり切ったところに、思わず奥州古道という看板を見つけました。これまでの例幣使街道にも日光街道にもなかった光景です。北関東の街道を歩いて、やっと「らしい」風景に出会ったようです。
f:id:tochgin1029:20180212205000j:image丘陵を降りてほどなく喜連川の街にたどり着きます。喜連川は温泉の街として少しは名が知れているはずですが、この日は市街地に人影がまったくありませんでした。バスの時刻を眺めても休日はどうやら非常に本数が少なくなるようです。楽しみにしていたのですが温泉につかるのは無理なようで、そのまま氏家まで戻ります。
 今日の行程はここまでです。日光街道や例幣使街道には、杉並木に象徴されるような徳川の権威を強調する側面が強くて、どこか堅苦しく面白みのない道であったのも事実です。けれど奥州街道の道はそれとは違っていました。
鉄道であれば関東平野を離れつつあるのを実感するのは、JR在来線で宇都宮駅を抜け鬼怒川を鉄橋で渡るあたりです。不思議なことに歩きの旅でも同じようです。宇都宮の台地を抜け鬼怒川の近く白沢宿に下りていくあたり、あたりの空気が一変して劇的に風景が変わるところはとても心に残っています。