大切だが重いことを考える道(北関東の諸街道11)

f:id:tochgin1029:20180513132238j:image 前回は、芦野宿まで奥州街道を歩きました。奥州街道の北上は白河までにしようと決めているので、今回の歩きのひとまずのゴールでもあるのです。新幹線を使わないと決めれば那須への公共交通の足はとてもたよりない状態で、いったん宇都宮で前泊することにしました。翌朝は早朝の電車で宇都宮から芦野に向かいます。
 地元の高校生の通学と一緒になります。もちろん県庁所在地の宇都宮にむかう高校生のほうが圧倒的ですが、意外なほどに北上して通学する高校生が多いようです。宇都宮と那須ではとても遠いように思うのですが、地元の高校生は、そう苦も無く遠距離通学しているようです。通学ラッシュが少ない分だけ都心近郊の通勤通学よりも遠距離はストレスは少ないようにも見えるのです。黒田原駅を降りてバスに乗り換え、芦野宿にたどり着きます。
 あいかわらず、芦野宿のあたりには外を歩いている老人たちもいません。でも歩きだせば、農作業を行っている姿を眺めながらの歩きになります。f:id:tochgin1029:20180513132434j:image

ちょうど今頃は田植えのシーズンで、田植え機を操作しながらの田植えもあれば、なんと手で苗を植えている老人の姿も見られます。広い田んぼに、ぽつんと手で苗を植えている老人の姿はとても頼りなげです。農作業の膨大さを想像して、その途方もなさに驚嘆します!
自動車の交通量が少なければ、カエルの声があたりに鳴り響いています。人気のない山道は、無音だと一人では心細いところですが、カエルの声が鳴りひびくと不思議と淋しくはならないものです。f:id:tochgin1029:20180513132533j:image

途中には初花清水という水が湧き出る場所があります。そこには仇討をするためにこの地で暮らし、土地の人たちに世話してもらった夫婦の話が載っていました。旅人を親切に世話する村人の話というのが昔話にはよくあります。いっぽうでは、毎朝の通勤電車で困っている乗客に、舌打ちするビジネスマンの姿なんてのは日常の光景です。どちらが人間の感情に則した、自然な振る舞いと感じるかといえば、それは前者のほうだとおもうのですが…次第に人家が少なってくると、いよいよ栃木県と福島県の県境にたどり着きます。
 県境にはそれぞれ、境の明神という神社が建っていてこのあたりだけ道路幅も狭くなっています。付近には2~3軒の民家が建っていますが、そのほかには人けのない場所です。白坂宿はその先にあるらしいのです。どうやらそれらしい集落もあったのですが、残念ながらあまり違いが分かりませんでした。次第にあたりは開けてきて、地方都市郊外らしく、住宅がぽつぽつと立ち並ぶ風景に変わっていきます。さすがに腹がすいてきて途中のコンビニで買い込みましたが、すぐ近くにラーメン屋があって、昼食はこちらのラーメン屋で取ります。白河ラーメンという名前の、ご当地ラーメンがあるそうです。白河ラーメンの特徴がなんなのか?というのはわかりませんが、途切れることなく客がやってきます。出てきた醤油ラーメンは、なるほどあったりしていて美味しいラーメンでした。
 さらに市街地に近づけば、ますます郊外型スーパーなども立ち並ぶようなへんてつのない郊外の風景が広がっていて、少し退屈していました。敵を防御するための仕掛けとして、街に入るまえの街道筋は鍵のように折れ曲がっています、その折れ曲がる道の正面に大きな石碑が建っています。これを見てびっくりしたのです。f:id:tochgin1029:20180513132637j:image「戦死墓」と書かれた大きな石碑は、戊辰戦争戦没者を供養したものでした。戊辰戦争の敗者といえば会津藩が代表ですが、稲荷山というこの石碑の裏手でも大きな戦闘があったことを知りました。町の入り口に建つ戊辰戦争の供養塔。もちろん白河の人々が150年前の戦いの仕返しをしようとは思ってはいないでしょう。けれど、この石碑の存在は、この地の人たちが決してこの故事を忘れないという誓いのようにも思いました。かつてサントリーの社長が、東北について「熊襲」という発言をしたときに、たいへんな抗議行動が起きています。尊厳や誇りを傷つける言葉には、とてつもない怒りを表出することもあるのです。
f:id:tochgin1029:20180513132658j:image ネットで検索すれば、白河市の人口は6万人程度しかない、単なる地方都市のはずですが、街を歩いてみれば、他の同規模の都市に比べ思いのほか市街地が広がっていて、かつてはとても大きな町であったことがわかります。この白河は、江戸末期には1万5千人をかぞえる、近辺では会津に次ぐ大きな都市であったそうです。「白河の関」という境界イメージからくる、どこか寂し気な土地のように白河をイメージしていたのは、大きく裏切られました。中心商店街にまったく活気がないのは、よくある地方都市のことで珍しくも何ともないのですが、そんな活気のない商店でも、白河ではほとんどの店のウインドーがピカピカで、また中もこぎれいに整えられている!そのことにびっくりしたのでした。会津若松を訪れたときに、街全体にきりっとぴしっとした印象を持ったのですが、この白河の街にも同じような印象を持ちました。
 帰りには、隣りの白坂駅にあるアウシュビッツ平和資料館を見学しました。民間で建てた資料館のようです。20分ほどのビデオを眺めると、このアウシュビッツの土地でなされた行為は、いわば「システム化された殺人装置」とでも形容すべきで、その途方もない恐ろしさに戦慄を覚えました。その虐殺の源といえば、幼少の頃に父親から虐待を受け自尊感情を破壊されたヒトラーの「憎しみ」とその連鎖にしかほかならない。ビデオを見終わった後、となりの展示室では、ポーランドの子供が描いた戦争の絵画と、日本の子供が描いた戦争の画が並べて展示されていました。自分の肉親が兵士に連れていかれたり殺されたり、残酷で冷徹な兵士が描かれているポーランドの子供の絵に比べ、日本の子供の絵には、勇敢で勇ましい兵士が描かれています。そこには桃太郎の鬼退治のように思っている心理が見えます。
 戊辰戦争アウシュビッツでの虐殺に直接は関係なけれど、白河で思いがけず「戦争による人間の尊厳の破壊」なんていう、大切でも重いテーマについて考えることになりました。