河に寄り添って(北関東の諸街道14)



f:id:tochgin1029:20180814130944j:image

 街道歩きも次第に日本橋に近づきました。那須や白河に向かうなら、早起きしてながながと電車に乗り・・なんてところですが。今回は、すべて埼玉県内を歩くルート。すぐに目的地の栗橋にたどり着きます。たどりついた栗橋の街は、宿場と駅とは少し離れています。利根川の堤防のたもとにある、かつての宿場町にはあまり人気もありません。宿場町の片隅にある神社は、スーパー堤防のために移転するらしく、やがてこの宿場そのものがスーパー堤防に埋まってしまうのかと心配になります。

f:id:tochgin1029:20180814130921j:image
 宿場を離れ、隣に行幸湖という沼を眺めながらの行程になります。この細長い形状の沼は、かつて川筋が、河の流れと切り離された結果できたものです。強い日差しがさしこむ中、湖畔の堤防に植えられている木がちょっとした木陰を作っていて助かります。

f:id:tochgin1029:20180814131016j:image
行幸湖からはなれると、典型的な田園風景が広がります。そういえば那須や白河を歩いたころは田植えの季節でしたが、いまではすっかり稲穂が伸びています。これまた典型的な田園集落の途中には「つくば道」と記された追分があります。日差しの強い中を歩くのは消耗します。幸手の街につく頃にはへとへとの体。昔ながらの商店がちらほらと残る商店街は、どこか懐かしさの残る街並みです。その一角にある小さな公園で休憩します。
f:id:tochgin1029:20180814131114j:image

幸手の街を離れると、その郊外は、田園風景と住宅が入り混じる風景になります。このあたりで、日光脇往還の道と離れ国道4号線に合流します。名の知れた外食チェーンが軒を並べる 道沿いは広い歩道があるけれど、上から日光にさらされ、下からは照り返しにさらされる、歩いていてつらくなる道です。その国道を別れれば、すぐに杉戸のまちにたどりつきます。
 
f:id:tochgin1029:20180814131145j:image
杉戸の街は、東武の駅から離れているせいもあって、比較的古い建物の残るまちでした。
この街も川沿いに広がっています。ただ、低地にできた街は水害に脆弱なようで、電信柱にはカスリーン台風の被害を受けたことをしめす標識が取り付けられていました。ここで昼食とします。
杉戸から粕壁へむかうころあたりは曇ってきました。強い日差しがやわらぐならむしろ大歓迎というところです。国道4号の沿道に、名所、旧跡の類はすくなく、ここも疲れがより増しそうな道です。
f:id:tochgin1029:20180814131203j:image
一軒だけ立派な門を構えたお寺を見かけました。が、近くに寄ってみると門の仁王さまは腕が取れ塗装がほとんど剥げています。寺の庭もあまり手入れが整っているように見えませんでした。この寺だけでなく、総じてこの辺りの旧家旧跡は、維持や補修に手がかけられいていないように見えます。それが残念なところです。
f:id:tochgin1029:20180814131311j:image

 粕壁の街も川を取り囲むように街が広がっています。人通りは少ないが旧い町の奥行きと広がりで、そこがより大きな宿場町であったことがわかります。少し前まで通り沿いにあった百貨店が閉店したことも影響しているのか?かつては賑やかだったろう中心商店街のさびれぐあいは、むしろ杉戸や幸手よりも深刻に見えました。かつての百貨店の建物は家具のショールームになったようですが、家具のショールームがそもそも賑わいをうむわけもありません。ただでさえ人通りのすくない街のなか、そのショールームの周りはさらに人がいない。無人地帯のようになっています。まるでニーズがなさそうに見えるこの場所に、なんで巨大な家具のショールームだったのだろう?と首をかしげたくなりますね。


f:id:tochgin1029:20180814131242j:image
粕壁からは、ひたすら国道4号沿いの道を南下します。
ごく近くを走る東武線の影響からか古くから宅地化されたこの付近は、住宅がびっしりと立ち並んでいます。まるで自宅近くの住宅地を歩いているのと変わらない風情です。
その東武線は、立ち並ぶ住宅に隠れて見えません。それでも少しずつ風景の変化はあるもので、住宅が立ち並ぶ一ノ割駅のあたりを過ぎ、武里駅のあたりから河川(用水路みたい)が並行してせんげん台のあたりで、これまた別の河川と並んでいます。変化が少ない景色の中で目立つのは、河や用水路の類の非常に多いことです。
f:id:tochgin1029:20180814131333j:image

 たどりついた越谷の街も、街の真ん中を元荒川が流れています。いや、このあたりの街はすべて、河川と結びついて成り立っているのがよくわかります。幸手や杉戸、粕壁と南下して、もはや越谷の街にそれほど古い町並みはのこっていないのでは?と思ったところでしたが、そうでもありませんでした。旧い街道情緒はみじんもないのですが、ぽつぽつと土蔵作りの建物が残っている。しかもいまだに現役の金物屋として営業していたり。これにはびっくりしたのです。

f:id:tochgin1029:20180814131342j:image
 今日の歩きは越谷までで終わり。次第に都心と近くなることで、あまり風情は感じませんでしたが、河川から湖沼用水路まで含めれば、限りなく水にかかわる景色を眺めたのが、今日の道のりでした。ゴールの日本橋はかつての五街道の起点ですが、その一報で、日本橋の魚河岸に物資を運ぶには水運が欠かせませんでした。その水運をささえたのが、今日通り抜けた、河川に設置された数えきれないほどの河岸です。それは、中山道甲州街道を歩いてもわからなかったことで、日光街道だけが感じとれる部分のようです。