「湘南」には実体がない(東海道を歩く(その4)

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 戸塚宿までの東海道は、思ったよりも平らな地形のところが少なく、細かな上り下りの道の多いことが印象に残っています。けれども、あまりにも都市化が進みすぎていて、その土地その土地の個性が掴みとりづらいなと感じています。今回の歩きは戸塚宿から始めます。歩道橋だらけの戸塚駅から地上に降りて、再び歩き始めます。  

 前回は暗くてわからなかった本陣跡も、今度は見つけることができました。戸塚の街の光景は、今度は、はっきりと眺めることができます。このあたりの東海道は、立派なバイパス道と化していて、ともかく通行する自動車の音がけたたましい場所です。かつての宿場を外れるころには、大坂とよばれる坂の上りが始まります。途中には庚申塚があります。

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登り切った先の場所は、ほんとうならとても眺めの良い場所のはずなのですが、マンションが建っていて、残念ながら視界はさえぎられています。遠くに富士山も見えるのですが、こんどは建設現場の仕切りがさえぎっていてこちらも写真にはうまく収まりません。となりのバイパス道はいっそう道幅も広くなり、自動車の通行量もさらに増えています。そんな中で、いくつかのランニンググループと遭遇しました。この日は年末で、新春の箱根駅伝もまもなく始まろうかという頃です。そんなことも相まって、東海道を走ろうとする人々も多いのではないでしょうか。


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 そんな殺風景なバイパス道と離れ、道は下り坂に変わります。下り坂を下りきったところで遊行寺に到着します。鎌倉時代の僧、一遍が開いたとされるこの寺は国宝の「一遍上人聖絵」を見るため、何回かおとづれたことがある場所です。この「一遍上人聖絵」では、高貴な姿の人もみすぼらしい姿の人が描かれていて、ライブハウスさながらのように人々が踊る姿も印象的な絵です。この絵で描かれたように、この寺の境内にはどこか、多彩な人を受け入れるような親しみやすい雰囲気があって、とても好きな場所です。その遊行寺の近くが藤沢宿の始まりです。


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 他の宿場の例にもれず、藤沢宿も旧い建物があまり残っていない静かな商店街です。けれど、ほどほど狭い通りと、通りに面した建物の連なりが、かつての旧宿場町の風情を残していて、駅前の繁華街の賑わいからは想像できない旧宿場町の風情です。
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しばらく歩くと、街道のわきに、義経の首洗井戸とよばれる史跡が残っています。なんの変哲もない住宅地がつづくなかで、とりわけ源氏にまつわる史跡が多く残っているのが、この地域の特徴化もしれません。小田急線と比べて東海道は高い位置に面しています。線路とは踏切ではなく陸橋で交差します。このあたりで昼飯とします。はいった中華食堂は、ごく近所の人がおとづれるようなアットホームな食堂で、なじみの客と店員が世間話をしています。右手には小高い丘が点々としていて、左手には住宅地が連なっています。どこかとりとめのない景色ですが、それなりにぽつぽつと史跡は残っています。
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道路沿いには、おしゃれ地蔵という名の小さな地蔵がありました。女性の願いをかなえるというこの地蔵は、顔の口のあたりが赤い紅で赤く塗られています。そして、さらに進んだ先の交差点ちかくには、大山道との追分がありました。そして東海道は藤沢から茅ヶ崎の街に入ります。

 茅ケ崎といえば湘南というイメージが強いせいか、世間的には茅ケ崎は海の街というイメージがあるかもしれません。しかし、東海道を歩いた限りでは、茅ケ崎の街にはあまり「海」の匂いはありませんでした。このあたり起伏の多い地形で、旧道が通るあたりも海抜は10mを超えています。ところが夏に歩いた日光街道の杉戸や幸手といった場所では海抜はせいぜい3m程度です。東海道を歩いている限り、茅ケ崎という街は、あまりはっきりとした特徴がないぼんやりとした街だなと思いました。


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 ぼんやりとした住宅地は、ずっと相模川を渡るところまで続いています。川をわたる橋からの眺めでは、富士山の姿もおおきく見えるようになってきます。けれども、この場所では、どちらかといえば主役は大山のほうでした。上野の国なら上毛三山利根川という組み合わせ、下野の国なら日光連山や那須岳と鬼怒川といった組み合わせのように、それぞれの国には特徴のある山と川の組み合わせが必ずあるように思います。その組み合わせは、相模の国だと大山と相模川の組み合わせになるようです。川を渡ったところの河原には、渡し場跡の碑があるらしいとガイドブックに書かれていましたが、さっぱり見つかりませんでした。石碑を探しているうちに道がなくなり焦ります。あわてて河原の草むらの中をかき分け道路に戻ります。


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 橋を渡った時点で、すでに平塚の市街地に入っています。茅ケ崎とはことなり、平塚の市街地は、まっ平らな場所に面しています。年末ともあって街は静かで、あまり活気はありませんでした。東海道駅前通りと交差するように街を縦断しています。藤沢や茅ケ崎と比べ、平塚の商店街には旧い建物が多く残っていました。まだ現役で商いを営んでいる金物屋がぽつぽつと残っています。復元された江戸見付の近くには、市民センターとよばれる公共施設があり、これも相当に旧い建物です。

 今回の歩きは平塚までです。これまで歩いた中山道甲州道、日光道、奥州道では、宿場町や街道周辺の地形や景色といった情報がまとまって、街それぞれの特徴というものを掴みとっていたのですが、今回の東海道歩きでは、まだそういった独特の雰囲気というものが薄いようにも思います。とりわけこの湘南とよばれるこの地域はつるんとしていて、とらえどころのない場所のように感じています。あまりにも「湘南」というイメージ先行の地域名には実体がなくて、むしろ藤沢茅ヶ崎平塚といったそれぞれの地域の歴史や由来とかいったものを切断してしまったように思います。

 東海道といいながら、まだ視界の中に海が飛び込んでくることがありません。次の小田原までの行程で、こんどこそ出会えるのではないかと期待することにします。