絶望と離脱「サン・ラー(space in place)」

 サン・ラーというジャズミュージシャンが居ました。彼の音楽はいわゆるフリージャズというジャンルにくくられていましたが、その奇抜な格好と時代ゆえに、一種のサブカルチャーのように見なされていました。1980ー90年代の頃、スイングジャーナルのような雑誌からは、その動向はほぼ黙殺されていていたと思います。
 実は、彼が没した後も、サン・ラーアーケストラという彼の楽団は演奏を続けています。昨年は、渋さ知らず30周年を記念した「渋大祭」に出演して、わたしも、その場で彼らの音楽を楽しみました。そして今月から公開が始まったのが、50年近くも前に作られた、彼の作出演による映画「SPACE IN PLACE」です。
 それまで、その奇抜な格好から、彼の音楽活動のなかに社会的なメッセージというものがふくまれているなどと、全く思わなかったのです。しかし、昨年に米国社会で起きた出来事が、これまでの彼の音楽にたいする色物視を一変させました。この映画や彼が発していたメッセージを、ようやく現代になってありのまま受け取ることができたのです。映画のメインのあらすじは、富豪らしい黒人実業家サンラー本人が対峙し、勝負をしているというもの。この映画が作られた当時、黒人運動には二つの潮流がありました。白人たちのマジョリティたちとは融和していこうという勢力と、彼らと融和することなどできないという勢力と。前者を表象するのが黒人。サンラーの考え方は後者にちかいでしょう。
 映画では、宇宙船に乗ってやってきたサンラーが、劇中で、道具・虫けらのように扱われている黒人たちを次々に箱船に載せ、移民船として宇宙に向かっていきます。キング牧師のように白人と黒人の融和を訴えるのではなく、むしろ白人と黒人の融和に対する絶望感が形を変え、この地球からの脱出という形であらわれているように思えるのです。
 50年前の公民権運動のあと黒人の権利は向上しオバマ大統領が登場するまでに、米国の黒人差別は過去のものとなったかのように思っていたのは勘違いで、ジョージフロイドという黒人男性が警察に暴力を受け殺された事件に端を発するBLM運動や、そのほかにも理不尽な暴力を受ける黒人たちの姿が報道され、50年前と変わっていない黒人差別の状況があらわになったのが昨年のこと。見終わった時に、この映画でサンラーが唱えていた「黒人移住計画」に現れた絶望感を、キテレツなこととも思わずに、ありのまま受け止めている事に自分自身が驚いています。たぶん20年前くらいにこの映画を見ていたら、たぶんただのB級映画の一種としか感じなかったでしょう。
凡庸ですが、時代と価値観の変化に驚いています。