「士族の商法」再考

勝負を決したがる。というのが武士の根本的な信条なのだろうかと思います。 邱永漢さんの「サムライ日本」というエッセイでは、旧財閥の企業の創業者の多くが旧士族であったということを述べています。「士族の商法」という言葉があって、商売のセンスがないことの代名詞なのですが、いや士族の商法には、商機とあらば全人生をさえかける勝負師としての一面がある。これは江戸時代からの商人にはまねができないことだ。と邱永漢さんは述べていました。さらに、優勢とあらば、たたみかける ように戦力のように商品を投入する。これは高度成長期に、ダンピングまがいの輸出攻勢をかけて、アメリカの産業をぶっ潰してしまったことからも言えるのではないでしょうか。根っからの商人に商売敵をぶっ潰すという発想はなく、商いに勝負を持ち込んだのは旧士族階級ではないかと思います。

明治以降の日本では、四民平等で武士が平民化したのではなく、平民がサムライ化したのだということです。これらサムライ的心情が国の近代化とともに、新しい日本の国民性につながって行ったのだと思います。