あるきづらい石畳の道(東海道を歩く6)


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 しばらく、街道歩きはできないでいました。今年の冬は、身辺の忙しさがあって出かける余裕がなければ、3月になっても花粉症が怖くて歩けない次第。4月にもなり、ようやく花粉症も怖くなくなったので、久しぶりに歩きに出かけることができました。4月になっても寒い日の多い今年の4月には珍しく暖かく、外を出歩く人も多い日でした。小田原駅を出て、街かど交流館と呼ばれるよばれる旧家を眺めた場所が、今日のスタートです。
 国道1号の大通り沿いは、そこそこ古めかしい薬屋とか伝統菓子の立派な建物も多くて、楽しく眺めながらの行程です。板橋見附を過ぎれば国道とは分かれます。目の前に箱根の山がそびえて、その手前には街道を囲んで家がずらっと並んでいます。峠に向かう街道沿いの光景そのままです。通りの近くには、箱根登山電車が通っています。
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途中に通り過ぎた風祭の駅はとても小さく、まるで市内電車の駅のようです。かつて箱根登山鉄道の小田原から箱根湯本までは珍しい3線軌道になっていて、登山鉄道の小型の車両と、小田急の大型車両や特急車両の両方が通過していました。さらに進んだ入生田駅の近くには、まだ名残の3線軌道が残っています。そして、踏切をわたり200-300mくらいすすんだだけでも、街道に並行する線路がそうとう高いところを走っています。相当の急こう配であることがわかります。
 
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まるで、箱根湯本駅あたりの雑踏を避けるかように、旧東海道は駅の直前で折れ曲がり三枚橋をわたります。橋を渡り終えるとすぐ傾斜のきつい坂が始まります。歩行者にはお構いなく、温泉場の狭い道を自動車が追い抜いていきます。箱根は相当に公共交通機関が整備されている観光地ですが、それでも観光客が箱根を訪れるのは、公共交通機関よりもマイカーでやってくるのが一般的なのでしょう。
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坂道の途中には早雲寺が立っていました。名の通り北条早雲にちなんだお寺です(由来の案内板は見忘れました)その当時、禅宗などといった文化が、武士たちの間で流行っていたそうです。しかし、最近に読んだ本「日本文学史序説」(加藤周一)の中では、総じてかれら武士たちが禅宗の精神を理解していたかというとはなはだ疑わしく、興味のほとんどは絵画などといった物質的なものにしか興味を示さないと嘆く禅僧の言葉が紹介されています。北条早雲の場合はどうだったのでしょうか?早雲寺を過ぎしばらく似たような温泉街が続きます。温泉街が途切れた街はずれには大規模なホテルが続きます。ホテルが途切れると、今度は道の途中に極彩色の神社や寺が2~3点在しています。どうやら新興宗教の施設らしく、桜の花のほかはまだ茶色い山の中で、極彩色の施設はとりわけ目立ちます。このあたり遊歩道と案内はあっても、旧東海道という明確な案内がないところが、少々わかりづらいのです。しばらく行き、道路と離れ右に折れ曲がるとようやく石畳が始まります。
 
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石畳の道は正直なところ、あまり歩き安くはなく滑りやすい道です。ふかふかの落葉や土の上を歩くほうがはるかに快適な道です。でも2~3の看板にかかれていた石畳の由来や構造や工夫を読んでいると、いったん雨になれば、足が泥に沈むほどの悪路となっていたこの山道が、石畳が作られたことで安全に道を歩けるようになったらしく、ただ石をすきまなく敷き詰めただけではない水を逃がす工夫も書かれていました。
 石畳がいったん途切れ、寄せ木細工の集落がある畑宿に着きます。ハタと名の付く地名は、古代の渡来人の大集団の秦氏に由来をもつそうです。神奈川には秦野という町もありました。また、コマと名の付く地名は、高句麗とかかわりがあるらしいとも。とすれば駒ヶ岳駒形神社という地名を含む箱根全体が、どこか渡来人の文化との濃厚なかかわりを持つ場所のようにも思えます。
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一里塚のわきに腰かけて昼飯を食べていると、ぽつぽつとハイカーたちが通り過ぎます。あいさつに答える人、無視する人さまざまです。再び歩き始めると、その半分くらいは車道わきの歩道でした。箱根は、あまりにも観光開発がされ過ぎて、素朴な山道を楽しむような道中にならないのは残念なところです。このあたりが小田原から箱根までの行程で、もっともきつかったように思います。
 
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甘酒茶屋に到達し、もちろんのように休憩します。あたりは中高年の人たちのグループやデート中のカップル。道の駅のような建物を想像したのとは違い、茅葺き屋根の建物は意外と素朴な雰囲気が残されています。甘さが控えめの甘酒は身体になじみやすい味です。甘酒茶屋を過ぎ再び山道にはいり、芦ノ湖の外輪山と思われる、本日のピークに到達します。このあたりは、上下それぞれの二子山がよく見える場所で、この二組の二子山はどちらもよく似た形をしています。
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その後は急な下り坂に入ります。石畳の下り道は滑りやすく歩くのが怖い道でおそるおそる通ります。芦ノ湖の湖面が見えれば、観光客がたくさん賑わっている元箱根に到着。どこの観光地も、いまは訪日観光客でたくさんですが、ここ箱根でも同じ光景です。元箱根から関所までの道は、日光のように杉並木が形作られていますが、日光に比べれば箱根の杉並木では、杉の木が元気なように感じられます。まもなく、箱根関所に到着します。 
 
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復元された箱根関所は、道を遮るように柵がたてられ、その横に建屋が配置されています。確かに関所というのは、自由な通行をせきとめ出入りをコントロールするという目的がむき出しになった施設です。街道を中心とした山と湖の斜面一帯には柵がつづいていて、この柵を避けるように越えることはできません。わたしも入口で500円の入館料を払わないと街道を先に進めません。

 関所というのは、わたしたちの社会に残るタテ割り社会の原型かもしれません。たとえば電車にのるには、改札口という名の関所をこえなければならない。別な電車に乗り換えるにも乗換口という名の関所を超えなければならない。新聞の記事をWEBで読もうとすれば有料会員になりIDという通行手形を持たなければ記事を読めない。とかくわたしたちの社会で、利用者より提供者の都合が優先されることの多くは、関所が原型のように思います。
 さて、今日の歩きはここまで。「箱根フリーパス」という割引切符きっぷでやってくる観光客は、箱根登山バスに乗りますが、そうでなければ、むしろ伊豆箱根バスのほうが空いていて安心して乗ることができるようです。ここで、ようやく関東から離れます。この先三島から始まる静岡の歩きが楽しみです。