「湘南」に実体はあった【大磯限定】(東海道を歩く5)


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 平塚宿まで到達した東海道ですが、「湘南」というこの地域を称する漠然とした名称がこの地域の現実の生活を見えにくくしていると感じました。けれども先入観ぬきなら平塚の街は、旧めかしい金物屋の看板建築が残り、これまた1時代前のアーケードの作りなどを眺めるのも面白いものです。ただ旧いだけなら甲州街道の八王子などと変わらないのですが、養蚕や織物といった地場産業の名残が平塚にはないことが違うようです。ただ、この街はどのようにして成り立ったのか?というのはよくわからないです。
 平塚の駅をおりて市街地を歩き始めると、前回の終わり古めかしい公共施設と公民館にたどり着きます。市街地を歩いている間、目の前にはずっとひとつの山が見えます。

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川を渡り、化粧坂という坂のあたりで国道から離れます。坂と呼びながらあまり傾斜がないように沿道はは、松林が点々としています。東海道の線路をくぐれば大磯宿に到着します。なんだかあっという間です。
 大磯という街には、吉田茂やら伊藤博文とかかつての著名人の別荘が立っていました。島崎藤村の旧家もこの地にあります。この地になぜ別荘を建てるのか?と考えたら、街中には「湘南発祥の地」という碑がありました。
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この地のあたり、西行法師が中国の風光明媚な地に似ていることから名付けたそうです。もちろん西行法師自身に中国への渡航歴はなく「似ている」という彼の気持ちは、旧い文献や絵画から得た教養から来るものだったはずで、ではそれが本当に中国の湘南と似ているのか?はわかりまません。ただし、明治以降の著名人がこの地に別荘を作ったことの選択の理由には、風光明媚な風景だけではなくて、この西行法師が名付けた「湘南」という地名に関係があったのだと思います。大磯では「湘南」いう地名はそれなりに現実の地域の伝統となっていました。

 ただし平塚や茅ヶ崎、藤沢まで「湘南」と称するのは違うようです。形容するならマンションや建て売り住宅のチラシのようなものかもしれません。駅から数十分もバスに乗ってたどり着く建物なのに、建物には遠い最寄り駅の名が冠せられているみたいな感じ…ここまで歩いて「湘南」についての疑問がやっと瓦解しました。
 大磯の街を過ぎると、ここでも山が迫ってきます。城山公園という県立公園となっているあたりを過ぎると沿道にはまたまた松林が点々と広がっています。松林を過ぎれば再び国道1号と合流します。その沿道には六所神社があります。休憩がてら立ち寄ります。
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 まだまだ初もうで参拝の客が訪れていますが、三が日の賑わいも過ぎてほどほどの賑わいです。神社のなかには、最近になって、参拝の作法やら○○奉祝やら、とかく仰々しい様子の神社も多くて、そういった窮屈さは正直なところわたしは嫌いです。けれどもこの神社では、そういった仰々しさは境内になくて親しみやすい境内です。簡単な参拝をしたり甘酒を飲んだりしのんびりとしました。
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 二宮までそのまま国道1号沿いの道を進みます。一度だけ二宮の海水浴場に海水浴に行ったことがありました。そこは海の家もないこじんまりした海水浴場でした。このあたりの傾斜の多い地形から来るものか?水が冷たくて、引き波が強く海に引き込まれる感じがして、二宮の海が少し怖かったことを覚えています。市街地を過ぎて国道から旧道に離れれば、醤油店などが建つようなふるめかしい通りを過ぎればアップダウンの急な坂道を降りて国道と再び合流、左手に海が見えます。
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 海がよく見えるのは東海道では日本橋から歩き続けここが始めてです。「東海道」名付けられるくらいですから、かつては街道沿いから海がよく見えたことでしょう。けれども、現代の東海道はここまで歩かないと海が見えないくらい、都市化がすすんだということなのでしょう。途中にはJR国府津駅があります。名の通りかつての相模国の中心に近い場所で、車両基地が隣接して規模の大きい駅のはずですが、駅前には商店街もなく、驚くほど静かです。さらに国道沿いをあるくと、ここでも松林が点在します。
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 酒匂川を渡るあたり、今回も富士山はよく見えませんが、だんだんと箱根の山が迫ってくるのが相模川の景色と違うようです。渡った先はすでに小田原の市街地に入っていて、すこしばかり歩けば小田原宿に到着します。
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国道から離れた道はかまぼこ通りと名付けられ、通り沿いには、立派な店先をのかまぼこ店が立ち並んでいます。ただし、正月明けのお腹にかまぼこはちょっと食傷ぎみで、立ち寄らずそのまま通り過ぎます。明治天皇の在所跡がある本陣跡で、今回の歩きはここまでで終わり。薄暗くなった小田原城を横に眺めながら駅に向かいます。次はいよいよ箱根越えです。きつい山道でしょうが、たぶん東海道歩きのだいご味が感じられるでしょう。