2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

わたしたちはもう答えを見つけている(橋本治「バカになったか日本人」)

シルバーウィークの連休中は、叔母の法事のために新潟に行きました。寺に行きお経を読んでもらいつつ、式が終われば和尚さんの話など聞くのですが、安保法制の話は、そのような席でも話されています。親族との会話でも安保法制の話はでています。法事の席で…

ポエムにならない絵画(藤田嗣治の戦争画)

国立近代美術館では、現在、藤田嗣治の戦争画が特集として展示されています。藤田嗣治は、日中戦争~太平洋戦争で従軍し、数々の戦争画を残しています。橋本治さんの「ひらがな日本美術史」によれば、とかくポエムに陥りがちな日本近代美術の迷走に迷走を重…

自分の心と身体(藤原新也「乳の海」再読)

藤原新也さんの「乳の海」という本を再読しています。これは、大学生の頃に社会学の授業の夏休みの宿題になった本です。大教室ではなされるその講師の授業は、多くの学生が居眠りをこいているような授業でしたが、たとえば上野千鶴子さんのジェンダー論のか…

木曽谷の江戸時代(木曽の終わりの旅(その3))

朝起きて外を眺めると、限りなく怪しい雲行きでした。雨天中止のつもりはないけれど、できれば傘も差したくないし、雨合羽も着たくはないので、早々に宿を出発することにしました。 中津川が、人口の規模に比べて大きな町のようにかんじられたのは、市街地の…

山道を下りる(木曽路の終わりの旅(その2))

南木曾駅の裏が昨日の終わりで、本日のスタート地点です。天気が悪い日が続くなかでは、日差しが入るのは珍しいことで、朝のまだ静かなコース沿いは、歩くのがとても気持ちがよいです。妻籠までの上りは、人家の途切れることはありません。木曽谷の宿場はど…

うんざりするほどの道(木曽路が終わる旅(その1))

続けてきた中山道を歩く旅は、木曽谷を歩く行程も、ようやく終わろうとしています。歩いても歩いても両側には、切り立った山々がつきることがないほど、うんざりするほどの単調さですが、それも終わろうとしています。前回の終点、須原宿が今回の旅の始まり…

8月30日 国会前へ

わたしが、国会前をたびたび訪れるようになったのは、原発反対への抗議行動以来です。特にめずらしいことではないでしょう。反原発の盛り上がりは、2012当時に比べておとなしくはなりましたが今も続いています。国会前にいくときは、国会議事堂前駅の混…