寂しげな香取神宮

 香取神宮は、下総の国の一宮とされている神社です。下総の国を特徴づけるのは、あの大きく流れる利根川の景色と、低地と台地が入りくんだ複雑に細かく起伏にとんだ地形のことです。

 今でこそ、川魚で生業を営んでいる人など本当にごくわずかですが、かつては、関東平野の中に数限りなくいたことを知りました。下総のことではないけれど、足尾鉱毒の被害は農家だけが受けたのではない。川魚の漁で生計を立てていた3000ー4000の漁師が被害を受けたと。館林の田中正造記念館で聞きました。さらに、古代の東関東の地形は、今の霞ヶ浦や北浦に当たる地域は、まるまる太平洋とつながっている、ひろい内海のような状態だったそうです。そんな内海で、現代では想像ができないくらい、漁で生計をたてている人が多かったことでしょう。

 下総という国はそんな漁師たちが支える国で、一の宮である香取神宮は、そんな彼らとのつながりの深い神社だったのだと想像します。香取神宮の一の鳥居は、JR香取駅の近くの利根川の川岸にあって。そこから参道が延びているのです。

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 香取神宮の由来は古く、7世紀にさかのぼるらしく、なるほど一の鳥居から神宮へ向かう道の途中に古墳が点在します。このあたりの集落の起源が相当に古いことがわかります。山を過ぎて、鳥居が見えると、香取神宮に到着です。

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由来のある古い宮のわりには、訪れる人が少なく静かなのは意外でした。参道には華やかな商店街があるわけでなく、それほど観光資源として、地元が推しているようにも見えない。なにせ車以外の方法で香取神宮に行くには、一日数本のバス以外のほか、歩いて行くしか、この神社に行く方法がない。現代の香取神宮は、意外なほど地元との結びつきが薄いようにも感じました。

 この神様は、下総の川や内海に暮らす漁師たちの神様なのであって、必ずしも農作業の守り神というわけではないのでしょう。歴史が下り、やがて東関東の広い内海は閉じる。このあたりは、江戸に向かう河川交通の重要な場所となりました。香取神宮も、そんな川と一緒に暮らしていた人たちの守り神として大切にされていたのでしょう。ですが、明治以降の近代化によって交通の主役が鉄道に移り、利根川の河川交通が寂れれば、もはや、地元の暮らしと川は離れるばかり。実際の香取神宮の佇まいに、あまり華やかな印象を持てなかったのは、そんな理由からかもしれません。これは個人的な想像にしか過ぎませんが・・・

 香取神宮と川をへだてて反対側には、鹿島神宮が存在します。この二つの神社は互いに対になる存在と言われています。今度は、鹿島神宮も訪れてみたいですね。