読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

リテラシーを持たない恐ろしさ

 今朝のラジオで、推薦入学を申し込んだ生徒に、担任がサーバーに保存された誤った情報をもとに推薦を拒否して、それを苦にした生徒が自殺をしたとニュースが流れました。痛ましいことです。 
 先生に限らず、現在は事務職であれば、ITの様々なデータベース情報を使って業務を行うのがあたりまえです。業務の効率化なんてことを考えれば、これを使うことなしに実務が成り立つわけもないのが現代です。けれど、あくまでその情報は二次情報に過ぎないということを、使う人には頭の片隅においていて欲しいと思いました。
 今現在だって、本人が書類に記入した内容だったり記憶している情報とIT情報を見比べ、どっちが正しい間違っているなんて会話が、どこの職場でも行われているはずです。人間の記憶なんてあやふやのものだから、もちろん記憶違いもあるでしょう。けれどIT上のデータベースだって、しょせんは誰かが入力したものにしか過ぎません。誤入力だっていくらでも起こります。 
 以前に、佐倉の国立民俗歴史博物館に出かけて、偽書の特集展示をみたことがあります。いまのように中央官庁や政府が成り立つ前では、土地の権利の保証「所領安堵」を得るために、人々は様々な手段で保証を得ようとしています。偽書もそのなかの一つであって「○○がこの土地の権利を持っていることを保証する、秀吉」といった内容の偽書が、横行していたようです。テレビのお宝鑑定団も同じですね。自分の持っている家宝が、ほんとうに由緒のあるものなのかどうかわからないので、鑑定士に鑑定してもらう。 
 現代では、私たちは、そのような保証の役目を、政府だったり地方の役所だったりに委ねていて、訴訟ごとを抱えない一般人が、自分がもつ権利に思い悩むことって、余りないと思いますが、申請書類の記入を間違えた経験などだれでもあるでしょう。そしてその書類が処理されるまで、実に多くの人の手を渡ります。その課程で間違いだって、よくあることでしょう。 
 この世は、実にいろいろな人の業のかかわりによって動いている。この教師の誤ちは、生徒の振る舞いを見ることよりも、サーバーに残された正誤の確かでない二次情報を鵜呑みにしたことです。情報についてのリテラシーを持たないことはいかに危険なことか思い知るのです。