ブラジルの大西洋岸を感じさせる音楽(エグベルトジスモンチの音楽について)

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昨日、練馬文化会館で行われた、エグベルトジスモンチのコンサートに行ってきました。その興奮に任せて書いていますのでご了解ください。
 本当はこのコンサートは、ナナヴァスコンセロスとのデュオとなるはずでしたが、ナナが亡くなってしまい、急遽、ジスモンチのソロコンサートとなったのです。コンサートは二部に分かれていて、前半はギター、後半はピアノによるソロで、どちらもジスモンチの演奏はリズミカルです。ナナはいないけれど一緒にステージに立っている。そんなつもりでジスモンチは演奏していたように感じました。
 ジスモンチの音楽との出会いは、レコード市で買った600円の中古アルバムです。ジャケットのデザインが美しいECMレコードから出されたそのアルバムでは、ジスモンチはヤンガンヴァレクやチャーリーヘイデンと共演していました。彼の12弦ギターから繰り出される音が大好きになり、いくつもレコードを買いました。ナナとの共演作はそのなかのひとつです。
 私が彼の音楽を聴く時に描かれる風景は、ブラジルの大西洋岸をイメージします。コンサートのコピーには、「音楽の千手観音」という表現がされていましたが、ちょっと違うなあと思っています。少なくとも、彼が音楽で描く風景は、太平洋でもないし日本海でもない。明確にサンバを奏でることはありませんが、彼の音楽はやっぱりブラジル音楽のなかのひとつです。
 ギターからピアノから、左手で刻むリズムは繰り返す大西洋の波、これは遠景です。そして右手からくり出す音は、明確にメロディーを刻んでいるわけではなく、時にはハーモニーを刻んだり、時には左手と渾然一体となってリズムを刻んだり。遠くから眺めれば、一見淡々とした海は、海中に潜れば変化に富んだ世界。彼の右手はそんな海の近景を描いている。ギターなら一弦一弦が、ピアノなら鍵盤ひとつひとつの音が粒になって、音の塊になって押し寄せるのです。ギター音楽を聴いて、ジスモンチのようにスケールの広い風景を想像させるような音楽家は知りません。
 チャーリーヘイデンはすでに亡くなっている。ナナヴァスコンセロスも亡くなりました。かつての、ECMレコードを支えていた人たちが、だんだんと鬼籍に入りつつあるのは、本当にさびしいことです。あらためてナナのご冥福をお祈りしつつ、いつかまた、ジスモンチのコンサートを聞ける機会があればよいなと思いました。

輝く水