廃仏棄釈の恐怖(安丸良夫「神々の明治維新」岩波新書)

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)


 国家神道が太平洋戦争の敗戦とGHQの処分によって、戦後になくなったわけではなく現代も生きている。しかも現代ではその存在が見えなくなっている。という島園進さんの問題系について、以前の記事で述べました。毎日のように、政治どころか芸能ネタまでものすごい同調圧力にさらされる。この圧力の正体が、どこか宗教的な情熱であると整理しない限り、その異常さは誰にも気がつかないと思うのです。庶民の側に受け入れる素地があったからこそ国家神道が成立したわけで、その素地はどのようにして形成されたか?安丸良夫さん「神々の明治維新」という岩波新書を読んで、それは明確になっていきました。
 キーワードは「廃仏棄釈」です。この運動は、通俗的には単なる狂信者たちの暴走にすぎず、この運動で仏教が滅んだわけではなく、壊された仏も一部に過ぎないとみられています。しかし、安丸さんによると、運動の前と後で、国内の諸宗教のありようはすっかり変わってしまった。庶民の内面までが決定的に変わってしまったのだと。表面的な運動は失敗しているが、国体のもとに諸宗教が糾合していくのに、決定的な役割を果たしたのだということです。
 廃仏棄釈の発端は、王政復古の大号令や五箇条のご誓文の前後で朝廷から出されたさまざまな令旨に、神仏分離天皇を中心とした秩序に反するとみなす宗教は、邪教として排斥する考えが含まれていたことです。一部の藩ではそこから寺を強制的に整理する政策がされ、そこでは僧たちは強制的に還俗させられました。実際に暴徒が寺に侵入し仏像を破壊したり経典に糞尿をまきちらすといった行為が発生しています。現在、イスラム原理主義者たちが遺跡を破壊するのと本質的には変わりません。排斥する思想のバックボーンは、幕末に普及した平田国学や水戸学なのですが、現実は観念だけでは動かない。そういった思想を身につけた者たちが、政策を動す権限を持ち広まったのです。
 もちろん、仏教の側にとっては、そのような運動は恐怖にほかなりません。各宗派は抵抗をみせます。また、実際に欧州を見聞した要人は、欧州の発展を政教分離の政策にみています。明治政府は、結局は表だった廃仏の政策は行わず、むしろその動きは抑制されました。反面で天皇を中心とする世界観(いわゆる国体論)を受け入れるか拒否するかによって、残るか滅びるかの選別がされます。仏教の側も天皇を頂点とした国体論を受け入れるようになります。国体論を受け入れる限り信仰の自由は認められますが、国体論そのものを受け入れない信仰は、徹底的に迫害されます。安丸さんによれば、それぞれの土地で受け継がれてきた民間信仰ほど、もっとも程度の低い邪教とされ、徹底的に排斥されたそうです。
 結局、神道が宗教として染めあげることはなく、廃仏棄釈の運動は収まりますが、庶民の内面にとって与えた影響が大きかったのだというのが、安丸良夫さんの見立てです。廃仏棄釈による恐怖こそが庶民に国体論が受け入れられる素地だったのです。
 国体論それ自体は、宗教となることには失敗しましたが、それゆえにまったく異なるはずの仏教や民間信仰が、容易に国体のもとに糾合していき、人々の内面を浸食していった。このことで、日本の近代化の課程で、過剰同調型の社会が形成されていったのが特徴だと述べています。
 なかば恐怖のうちに「国体論」が諸宗教を糾合され、そこに庶民の意思は入り込む余地はなかった。このことが、いまだに「公の秩序」は上から与えるものだと間違って理解され、国を通してしか公というものを理解することができなくなってしまった、日本の近代化の問題点です。
 それは政治家に限らないのです。日本の近代絵画や近代文学が、どうして私的な表現中心の世界になってしまうのか?いわゆる「ポエム」になるのか?作家が私的ではない表現を行うとき、なぜ思考の枠が国家にゆだねられてしまうのか?との疑問は「ひらがな日本美術史」を取り上げた時からの疑問なのです。その窮屈さの陰に、どうやら「廃仏希釈」の運動が関係しているようです。