大魔神と革命の物語

 ゴールデンウィークを前に、WOWOWでは、大魔神3部作の連続放送があって、思わずみてしまいました。もっとも、これでもかと庶民が痛めつけられる大魔神が登場するまでの導入部のシーンは飛ばし飛ばしですが…
 いためつけられる庶民は、思いを魔神(のような)の岩に向かって祈るのですね。岩が変形して魔神になる。敵をやっつければ、大魔神は跡形もなく消え去る。これは三部作に共通するモチーフです。ふと気になったのはラストのシーンですね。たとえば、ウルトラマンであれば宇宙に帰っていく。ゴジラにしてもガメラにしても空のかなたに帰っていくのですが、大魔神は砂のように消えていくだけ。なにを意味するのだろうと。
 こう考えました。実は大魔神というのは庶民の念が実体化したもので、そとに外在するわけではなく、実は彼ら自身なのだと。ぱっと見れば、庶民は、理不尽な権力者に痛めつけられるか弱い存在のようですがそうではない。これは、権力者の暴力に庶民が団結して勝利する革命の物語なのですね。
 大魔神に描かれる時代背景が、けっして江戸時代のようではないことにも意味があるのです。これが「水戸黄門」のような場合、敵を懲らしめるのは「天下の副将軍の水戸光圀公」という権威です。黄門一行が敵をやっつけるのは「天下は庶民を見捨てない」というありようを表します。けれども反面で「天下とか権威というものは、決して間違ったことはしない」という反対の意味をもちます。すなわち、既成権力の権威づけでもあるのです。江戸時代には革命の物語は成立しません。徳川の天下に逆らうことを意味しますから。
 大魔神3部作の時代背景は、戦国時代のように見えます。たぶん戦国大名にとって最大の恐怖は、他の戦国大名のことではなかった。一向宗に代表されるような庶民の蜂起だったのだと思います。たとえば、織田信長一向宗の降伏を許さずに皆殺しにしました。それは彼らが信長の権威を認めない思想を内在しているからなのですね。
 さまざまなものが、中国から持ち込まれていったのが、近代までの歴史です。易姓革命のような革命論が日本に持ち込まれなかったことをもって、日本に革命がないことの理由にされますがそうではない。けっして、日本に革命の動きがなかったわけではなくて見えないだけ。戦国大名に対峙した、一向宗をはじめとした庶民の蜂起には、たしかに革命が内在していた。大魔神3部作は、そんな革命の物語にも映るのです。