知る由もない(内心の自由について)

もう半月もまえのことですが、民進党の党首選のときに、どこからともなく蓮舫さんの二重国籍疑惑が問題とされました。反リベラルというお題なら、なんにでも口を挟むおなじみの論者たちが、やかましく騒ぎ立てるのはもちろんですが、そのとき勇ましく騒いだ人々のなかには、特に反リベラルというわけでない人たちまで含まれていたのが、実は、世間に刻まれた差別構造の根深さを表しているように思います。
 たとえば、毎朝の起き抜けに聞くラジオの、パーソナリティの森本毅郎さんは、当時にこの問題を毎朝取り上げ、政治家の二重国籍を「問題だ」と述べていました。この騒ぎを「差別ではないか?」と疑問を呈する岡田党首の反論までも「差別とはちがう。差別とみなすのはおかしい。」とまで述べています。寺島実朗さんのような論者からも同じような意見が述べられ、夏野剛さんなども、二重国籍が問題なのがなぜなのかわからない。という職場の女性に説明して「ふーん、そういう考え方もあるのね」と言わせたエピソードを述べています。法律の条文にあいまいなところがあるのでしょう。あいまいさを嫌うなら二重国籍が問題となるのかもとなるのかもしれません。
 ただ、このことを問題と述べたてる、彼らの思考の枠組みが、排他的な心情から発せられていると思うのです。そして、そのことを彼ら自身が気がついていないようです。日本国籍を持とうとする行為は、たとえ二重国籍だろうが三重国籍だろうが日本とかかわりを持とうとする態度なわけで、そもそも日本を貶めようと日本国籍を取得する行為があるだろうか?と想像してみましょう。
 これは、前提条件がそもそもおかしいのです。国内で語られる粗雑な安全保障論が「すきあらば、隣国は海を渡って日本を占領しようとたくらんでいる」という、きっかいな大前提から始まるのと似ていると思いました。民進党の党首選がおわれば、世論調査の数字は、蓮ほうさんの二重国籍を問題ではないと述べた回答が過半数でした。あたりまえのことで、父親か母親のどちらかが外国人であるなんて子供がクラスメートにいる。なんてことは都市でも地方でも珍しくもなんともありません。マスコミ報道の騒ぎは、いまでは、時代の変化に思考がついていけないおじさんたちの不安を代弁しています。
NHKアニメワールド おじゃる丸 | おじゃる丸となかまたち

かつて、NHKの子供番組に「おじゃる丸」というアニメがあって子供とよく見ていたものです。その個性的な登場人物のなかに「ほしの」という宇宙人の一家がいました。かれら一家が地球にやってきた目的は「地球を征服する」ことなのですが、とてもシャイな彼らは、けっしてそのことを言い出すことができません。おじゃる丸をはじめとした周囲の人々(登場人物がすべて善人!)は、そんな彼らの内心など知る由もない。そして、アニメ画面では平和な日常が続いています。相手の内心など詮索してもしようがないことなのです。思想信条の自由と結びつけるのは「内心の自由」の積極的な意味ですが、裏側では、しょせん他人の内心のことなどはわかりはしないし、むしろ詮索などするべきでない。という意味が含まれていると思うのです。
 日本のおじさんたちのきっかいな意識と言動は「おじゃる丸」の善人たちの行動とはまるで逆です。もしも彼らが「おじゃる丸」に登場すれば、彼らは「ほしの」一家に対して、きっと執拗な疑いをかける。やがて、それだけではすまなくなり、登場人物たちを片っ端から疑いにかかるでしょう。そこで「おじゃる丸」の善意の世界は崩壊し、とげとげしい世界に変わってしまう。いらぬ内心の詮索は、世間を世間として成り立たせている「社会への信頼」を滅ぼすのだと思っています。時代の変化に思考がついていけないおじさんたちの不安と、代弁するマスコミ報道の騒ぎに、そんな不安を感じるのです。