滅びを遮られる(三島由紀夫「十日の菊」)

三島由紀夫の「英霊の声」という本には、前回の「憂国」の他に、「十日の菊」という戯曲が納められています。クーデターにより襲撃されたものの九死に一生を得た政治家とその家族が、恩人ともいえるまかないと再会を行ったことから、始まった話です。

物語の場面は、すべてこの政治家の家で行われます。助かったあと、政治家は引退してサボテンを育てるほかはなにもない、抜け殻のような生活を行っています。そして、この家には彼の兄弟が同居しています。かれらは、互いに仲が悪く、従軍帰りの息子は、従軍時の責任を部下に押しつけることで、戦争犯罪から逃げ延びた。妹は、そんな家族の中で唯一に真人間であるかのように描かれますが、反面で「なにも知らない」ということでもある。

政治家の家は豊かであっても、周りとは隔てられた、離れ小島のようです。その中に元まかないが再会したことから始まります。

菊との再会を果たした家族は、以前もそうだったのでしょうか。彼女に家族同士の不満をつぶやく。菊は、当初はこの家族の醜いありようを見て、つぶしてしまえとも思ったのかもしれませんが。 変わって行くようです。

三島は後ろの解説文で、政治家にとって、自身をおそう将校たちこそ、孤独を解消させてくれる出会いではないか。彼は、将校たちを心の中で待ち望んだのではないかと解説しています。だとすれば菊がよかれと思って愚連隊を追い出したり、逃がしたりする行為は、抜け殻のような家族にとって、腐敗から逃れることをできなくさせている。 当初は、家族の中で唯一真人間と思われた娘は、愚連隊が侵入した際に、彼らと一緒に外にでようとさえします。敷地の外の世界を知らない彼女は、外の世界に楽園があるとさえ思っていたのでしょう。そんな彼女の危険は、菊の行動によって回避されるのですが、その後で、反面で外にでることを遮った菊を、娘はなぜか憎むのです。家族の腐敗の原因は実は菊の存在なんだと。閉鎖的で腐敗した日常からの脱出を遮っているのではと。

閉鎖的な家の中の、抜け殻のような生活は、三島の戦後社会観を表しているようにも思えますが、なにより、敗戦によっても日本は滅んでいないし、社会の腐敗もそのまま残っている。日本という社会が、なにか滅びることを永遠に遮られているのではないか?ということを、まかないの菊に表層させていると思いますね。三島由紀夫自死の原因も、 そこへの絶望感が込められているのでしょう。

英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)