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鎌倉時代のリアリズム「ひらがな日本美術史3」

ひらがな日本美術史〈2〉

学校の教科書では、鎌倉時代を代表する彫刻は、運慶や快慶に代表されるとあります。現在の目で、当時のリアリズム彫刻を特段不思議に感ずることはありませんが、その前後の時代、江戸時代にも室町時代にも平安時代にも、おなじようなリアリズムに類する表現は存在しない。

橋本さんの表現に沿えば、鎌倉時代は、ルネッサンスにも匹敵する可能性があった時代と述べていますが、現在では失われた可能性だからこそ、写実の表現は鎌倉時代で途絶えてしまったのでしょう。

平安時代から鎌倉時代にかけての変遷は、世の中を動かしていく権力階級が貴族だけではなくなったことです。貴族にとってはそれは重大なことで、今まで自分たちの思う通りに世は動いていたものが、そうではなくなったのですから、それは貴族たちにとって、他人をわけへだてる感性が生まれる契機になります。幕府の成立と承久の乱を経て、西の朝廷よりも東国のほうが優位に立つ。たぶん、京都には、全く習俗も出で立ちも異なる武士たちがやって来たことでしょう。

貴族たちこそ、彼らを東夷と呼んで見下しますが、庶民の中には、新たな権力者たちに対して好意的にみる京都の住民もいるでしょう。何かは忘れましたが、親の死を悲しんで供養する平家と、親の屍を乗り越えて戦う源氏のたくましさが対比されています。見た目でも西の武士たちの華奢な姿と比べて、東からやってきた武士たちがたくましかったのか

もしれません。日本の美術史にとって異端であるリアリズム彫刻が、鎌倉時代に突然に登場したのは、そんな東国からやってきた異人たちに接した衝撃の表現なんだろう。京都の人間にはそのように見えたんでしょう。

時代は南北朝から室町幕府をへて、東西の両権力はもめることはあっても、東西文化は融合していくし、文化の摩擦はもはやおこらない。だからこそ、鎌倉時代のような肉感的な表現は鎌倉時代だけで廃れたんだと思います。

橋本治さんは、鎌倉時代は民衆の時代となる可能性があった時代だと述べています。けれども、考証できる遺跡や資料が少ないので、現在はこの大変動の時代を、江戸時代や戦国時代のレベルにまで実体化できていないんです。平安時代から鎌倉時代の「階級闘争」の世界は、戦国時代や明治維新と比べても全くひけをとらない大変化でしょうが、大河ドラマでこの時代を取り上げても全くはやらない。考証できる資料や遺跡があまりにも少なくて、フィクションの世界では、この時代のおもしろさを伝えることができていないもどかしさがあるんだろうと思います。