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室町時代の可能性(清水克行「喧嘩両成敗の誕生」)

喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

 テレビを見ていて一番不快になる番組といえば、イジリ芸と呼ばれるものです。イジる側がつねにベテラン芸人、反対にイジられる側は若手芸人、双方の間に決定的に立場の強弱があるので、若手芸人のほうはイジりに対してキレることができない。バラエティに名を借りたハラスメントといえなくもないところが、不快になる原因です。赤穂浪士の討ち入りの話はそんなイジりに切れた殿様の話とも受け取れます。徳川による秩序が形成されていた元禄の世は、すでに敵討ちが許されなくない世でした。けれどイジり芸のようなハラスメント行為は世間の

いたるところにあって、だからこそ庶民が喝采を送ったのです。一方で、徳川の秩序が形成される以前、中世に敵討ちは世間で許容されていました。そんな世間がどんなありようだったのか?清水克行さんによる「喧嘩両成敗の誕生」という本を読んで知りました。
 中世では、人や集団が恨みごとを晴らそうとしたときに、それを遮るような秩序はありません。現代に置き換えれば、ひどく混雑した通勤電車、乗客の間で押した押さないという車内トラブルが、いちいち殺し合いに発展してしまう世の中を想像すれば分かりやすい。清水さんによれば、室町時代に生きた人々は、とても自尊心が強かったそうです。この本で取り上げられただけでも、お辞儀の慣習についての誤解から殺し合いに発展した例、相手に笑われたことに恨みを抱いて復讐をする例、現代であれば、凶悪な通り魔事件として取り上げられるような出来事が、けっして室町時代では異常な出来事ではない。
 また、室町時代には人々の集団化が進んでいきます。庶民があたりまえのように武器をもつ中世に、現代でいう治安などは存在しません。なんらかの集団に属さないことなしに、個人が身の安全を保つことはできない。なので、紛争を解決する主体は、当事者が属するおのおのの集団となる。争いのきっかけが1対1であっても、いつのまにか属する集団同士の諍いごとに発展します。京都の街を破壊した「応仁の乱」とは、そんな当時の諍いごとが、極端にまで膨張した例として挙げられるのです。
 集団間の争いに、当時の室町幕府が介入する余地はまったくありません。室町時代の足利将軍の行動に、源平の合戦や戦国大名のような華々しさも、英雄的な行動も存在しないのは、決して本人のせいではなくて、個々の自尊心が素でぶつかり合う当時の世間が、足利将軍の権威などは寄せ付けないほど強烈だということです。
 もちろん、室町幕府も紛争ごとを解決する秩序を主導しようとした形跡はあって、物事の理非に応じて当事者を裁いた例もあるようです。けれども、時代が進み人々の集団化が進むにつれ、ものごとにシロクロつけるよりは、争いごとが拡大しないように、世間のコンセンサスが変わっていく、そういう慣習は室町幕府が主導して作ったわけでも「喧嘩両成敗」を法に表した戦国大名たちの独創でもなくて、当時の世間のコンセンサスが基底にあったのだ、というのが清水さんの論です。江戸幕府や現代のような秩序として中世の権力が存在したかのように誤解するのですが、そういったものは、中世には存在しない。
 一方で室町時代では、その後のように、個人と属する集団の関係に、服従するとかされるといった関係性はまだ薄いようです。現代であれば、ある集団に属する個人同士が諍いを起こしたからといって、ただちに集団同士の争いには発展しない。そこには、いきり立つ当事者を押しとどめ、争いを拡大させないような、集団内の秩序が働くでしょう。けれど室町時代では個人の諍いごとがただちに集団の争いに発展する。たぶん当時、個人は集団に服従するような関係ではなくてむしろ逆。個人に集団が従うような関係性にも思えます。それが、後世に集団間の秩序が形成されていく課程で、個人が集団に服従する関係にひっくり返っていく。
 それ以前、鎌倉時代では、写実的な仏像彫刻が生まれていますし、当時の絵巻物では、乞食でさえも堂々と存在を主張している社会が描かれています。私はそこから、鎌倉時代のことを日本の歴史上でもめずらしい「個人の時代」だと思っているのですが、室町時代に人々の集団化は進んでも、個人の自尊心の高さは引き継がれている。そんな個人主義的なありかたが、どうやって「全体主義」へと変遷していったかというところが、もっか不思議でならないことなのです。