なんの変哲のない道(甲州街道を歩く1)

f:id:tochgin1029:20161113112632j:image 中山道をゴールしてしばらくたつと、田舎の道が恋しくなって、街道歩きを再開することにしました。今度は甲州街道で、甲府まわりで下諏訪までの道を歩きます。日本橋から新宿までの道は、散歩のようにして歩いてしまったので省略。実質の歩き始めは新宿からです。
 新宿に昔の甲州街道の風情を残すところなど存在しないのはあたりまえというえばあたりまえ。ひたすら、雑踏の中をあるき始めます。すっかり雑踏は苦手になりました。早足で歩けば前を歩くひとにぶつかるのがうっとおしくもあります。
f:id:tochgin1029:20161113112657j:image 初台をすぎて、首都高の高架と合流します。わきには緑道が並びます。玉川上水の跡のようです。どちらかといえば、歩くにはあちらのほうが趣があって、静かでうらやましい道です。建物と高架のわずかなすき間にけやきの街路樹が続きます。ほんのわずかな風情です。やがて明大前のあたりでは京王線をわたります。都内の甲州街道は、しばらく京王線と併走します。
f:id:tochgin1029:20161113112726j:image 一里塚の跡には案内板だけが残るばかり。中山道では、旧道がそのまま、現在の幹線道路である場合は少なくて、まったく当時の面影が失われた場所は少なかったように覚えているのですが、都内の甲州街道はいまでも幹線道路として機能しています。高井戸の宿がどのあたりかはガイドブックではわかっても、かつての面影がないので違いがよくわかりません。
f:id:tochgin1029:20161113112744j:image それでも、桜上水をすぎれば、やっと高架道路との併走が終わって、見える空が広くなりました。なんてことのない生活道路と住宅街はえんえんとつづきます。今日の行程は、芦花公園駅のあたりで終わりです。街なかの道ははやく通り抜けたいところです。

タレント政治あるいは政治タレントたち

 目立ちたいがための強い言葉は、たんに相手を傷つけるだけでなく、自分自身が言葉の虜となり自分を蝕むのだと、長谷川豊さんのブログ騒ぎを、前々回の記事で取り上げました。その後、長谷川さんに対する謝罪署名を集めた女性が、実際に長谷川さんに会ったと、ハフィントンポストに記事が掲載されていました。

「長谷川豊さんになぜ強く反論しなかったのか」対談した腎臓病の女性患者が疑問の声に答える | Huffington Post
 このような面談では、両者が罵り合うばかりで、なんの解決にならないことも多いのですが、その女性は非常に聡明でした。「この人とはそもそも議論ができない」と判断し、長谷川さんの話を聞きながら、彼の人となりを観察していました。
 彼女によれば、少し会話した時点で、長谷川さんは私と議論をしたいのではなく、ただただ自分の意見表明をしたい。という態度でこの場にやってきたのだと見ぬいています。たとえば、彼女が話している途中であっても、言葉を遮って自説を通そうとする。ジャーナリストを自称する長谷川さんですが、人の話を聞かない人が、そもそもジャーナリストを名乗るのも変なことだと思います。そうではなく、やっぱりテレビタレントなのでしょう。

 テレビやラジオの番組には、数限りないコメンテーターたちが出演しています。政治も芸能ネタも同じようにコメントする仕事ゆえ、評論家やジャーナリストなどタレントと名乗らなくとも、本質は悪い意味で「テレビタレント」と形容したいひとがたくさんいます。長谷川さんだけではない。
 悪い意味での「テレビタレント」とは、だいたい以下のような条件でしょう。
・対話は必要ない。
・話の真偽には頓着しない。
・自分の言いたいことだけを話す。
・その場で自分が目立つことを優先する。
ひな壇をしつらえた、テレビのバラエティー番組や朝まで生テレビ。一見では彼らは会話をしているかのように見えますが、そこには出演者の自己アピールだけがある。だいたい、朝まで生テレビの議論が、のちに政治を動かしたり政策を動かした事例があったでしょうか?私の知る限りありません。
 タレントが政治家になるケースは、ほんとうに多い。特に大阪では、横山ノックさんも西川きよしさんといった芸人が議員になっています。橋下さんも、本質は政治家というよりもタレントです。有権者の声をすくい上げ、市民の代表者(議員たち)と話し合い、よりよい政策をおこなうというよりは、自分がどれだけ目立つか。政治の場をすべて自己アピールの場に変えてしまう。政治を借りたタレント活動というものでしょう。民主主義とは異なる価値観です。
 東京都でも、小池知事のタレント政治が始まりました。連日のように報道される豊洲市場やオリンピック会場の話題は、よくよく聞いてみると、さして中身がある内容でないのがわかります。先日は小池さんの「政治塾」に、3000人もの応募があったとのこと。なかにはエドはるみさんのようなタレントも含まれています。政治塾ではどんなことを教えるのでしょう。自己アピールの方法だけを教えるのだろうか?と勘ぐりたくもなります。

 事実、小池さんが新人議員のときのインタビュー記事を雑誌「SPA」で読んだことがあります。その価値観は自己実現のために政治をやる。という価値観でした。自己実現であるならなにも政治家を選ぶ必要はありません。そのころと今も、小池さんが政治家をやるスタンスは変わっていないし、そういうスタンスで政治をする彼女を、私はけっして支持はしないでしょう。
 いまや、テレビで報道されない選挙の投票率は、おおむね20%。都市部や都市圏ほど低くなります。政治というものがタレント活動のように理解され、報道されるだけなら、低い投票率は、今後もけっして向上することはないでしょう。

ヘイトするくらいならみんなで踊ろう(サムルノリの音楽について)

 今年は、高麗郡が創られてから1300年の記念の年なのだそうです。700年代、平城京の都のころに、国が滅んだ高句麗から1700人もの人たちがこの地にやってきたとされています。その記念の年に、高麗神社ではサムルノリという韓国の音楽家たちのグループが、コンサートを開くとのこと。観に行ってきました。
 彼らは30年前にも、同じように高麗神社でコンサートを行ったそうで、彼らの音楽に初めて触れた著名人たちにも衝撃を与えたとのことです。サムルノリのリーダーである金徳洙さんは、その当時に近藤等則さんのIMAバンドのアルバムに、ゲスト参加していたのを覚えています。
 で、私にとっては、サムルノリの音楽は、もともとワールドミュージックのひとつのような感覚で捉えていたのですが、実際に訪れた会場はいわゆる在日と呼ばれる方々が多いのが印象に残りました。そして、開場を待つ人々の列の中には、あちらこちらで旧知の人々を見つけ、旧交をあたためる人々の姿がたくさん見られました。隣席のおじさんからは、半島から日本にやってきたてんまつ話などが聞こえてきます。彼らにとって、サムルノリは自分のアイデンティティとふるさとの文化を繋ぐひとつの糸のような存在なんだと思いました。
 実際に触れたサムルノリの音楽は、半島の土地に根付いた音楽が根底にありました。彼らの太鼓と鐘のアンサンブルは、たとえば和太鼓と比べると、よりリズミカルに感じます。そしてなにより驚くのが、どう見ても楽な演奏には見えない全力での演奏を、延々と休むことなく叩きつづける、その体力にびっくりします。もの凄いものだと思います。そして観客席から見ると、金徳洙さんの腕が、左右に早く動いて千手観音のよう。というのは言い過ぎでしょうか・・・2曲目は、鐘が加わります。大きな鐘はベースとタイムキーパーのような役割を果たしていて、その上を太鼓がそれぞれ自由に飛び跳ねるように踊っていて、全体は非常に複雑なリズムを表しています。この曲が一番長かったでしょうか。休憩をはさんでの3曲目は、リボンのついた帽子を回しながら、立っての演奏になります。まるで、この演目にあわせたかのように真っ暗やみになった会場の中を、ひらひらと帽子のリボンが舞っていて、とても綺麗に見えます。もちろん彼らの演奏は、踊りながらだといえ、ぞんざいになることはなく、座ったのと同じクオリティを保っています。いや、ほんとうにすばらしい!
 アンコールでは、彼らはステージからおりて演奏を始めました。彼らをとりかこむように観客が集まって踊り出します。彼らの演奏は、もともとは祝祭の音楽。みんなで踊る姿こそが、本来の姿なんだとも改めて思いました。もちろん私も一緒に踊りにならない踊りをしたのです。
 現在のコンサートは、舞台や構成の都合から、段取りもアンコールもあらかじめ決められ、その時々の盛り上がりでからハプニングも起きずらいのですが、この日このコンサートで起きた、盛り上がりはごく自然なものでした。
 そんな楽しんだ会場を後にして、帰りの電車でツイッターのタイムラインを眺めれば、この日も秋葉原では、拝外主義をスピーチするいわゆるヘイトデモが行われたそうで非常に残念なことです。金徳洙さんは、コンサートの始まりに「みなさまの幸せを祈るために演奏する」と言って演奏を始めました。デモというものも、ひとつの祝祭と捉えるなら、それは、みんなが幸せに暮らせるようにするためのお祭りでなくてはなりません。誰かを排除するための祭りなど起こしてほしくない。サムルノリのアンコールの祝祭を体験して「へイトするくらいなら、みんなで踊ろうぜ!」なんてことが頭をよぎるのです。

自己陶酔の言葉(過激な言葉の麻薬性)

 テレビを見ていると、女優の杉田かおるさんが出演していました。それは自分の失敗経験を取り上げるというつくりの番組でした。テレビをしかもバラエティー番組など見ることは珍しいのですが杉田さんのコーナーはたまたまみてしまったのです。彼女は失敗の多くを、自分の傍若無人ぶりに求めていましたが、一時期のテレビは、そのことがおもしろおかしく取り上げられていたのも事実。タレントたちの極端で過激な意見や行動は、テレビ上では目立つし面白がられますが、それは反面で自分自身をぼろぼろに浸食していく。これ、テレビ業界の恐ろしいところかもしれません。杉田かおるさんはこういう世界から脱出できたこと、良かったのだと思います。
 極端で過激な意見といえば、最近に問題化したのが、長谷川豊さんのブログ記事での、人工透析患者に健康保険など必要ない、生活の不摂生など自業自得なのだから、全部自腹を切れ。という意見が批判されました。人工透析の患者のなかには、先天的にそうせざるを得ない人もいるのですから、透析の患者が怒るのはごくあたりまえのことです。案の定、彼はかかえたレギュラー番組を降板することになりました。形ばかりのお詫びを述べつつも、彼はこのことを、本心では「世間の理不尽な仕打ち」とうけとっているようです。
 降板したテレビ番組で、彼と一緒に出演していたアナウンサーが、彼の人となりを「目出ちたがり」と称していました。毒舌ゆえにレギュラーのテレビ番組を持ち、それなりに面白がられた長谷川さんですが、その毒舌ゆえに身を滅ぼした。ということなのだと思います。他人への批判を吐き、過激な言葉を連ねてブログを装飾するのが、彼の目立ちたがりゆえだというのは想像ができることで、自身が吐いた言葉に自分自身が中毒になってしまったのだと思います。それは杉田かおるさんのケースと似ていると思います。
 よく、動画で見かけるヘイトデモへの参加者は、なぜかへらへら笑っています。たまたま乗り合わせた電車で遭遇したヘイターも、ヘラヘラと笑っています。何故なのだろうと不思議でしたが、「殺せ!」とかいう言葉を自分自身がはく。自分自身がその言葉に陶酔している。それは「言霊」のようなものかもしれませんが、それよりは言葉の麻薬としか称しようがないですね。もともと思慮も分別もある大人が、目立ちたい注目されたいがために、より過激な言葉、より過激な意見を吐く。言葉を発した本人は、その言葉をコントロールしているつもりなのかもしれませんがまるで逆です。むしろ悪意のある言葉が、自分自身が蝕まれていく。しかもやっかいなのは、たぶん快感と陶酔を伴っていること。アナウンサー出身だからこそ、長谷川豊さんは言葉をコントロールできるという自負があるのでしょうが、彼に起きたことは、自分が吐き出した言葉の魔力に自分自身がはまっていったのだと思います。
 私自身、ここで書いているブログは、よりたくさんのひとに読んでもらえたらよいなと思います。そのためには、タイトルはこんな感じにして・・・と思ったり言葉を選んだりします。内容をわかりやすくするためには、よりはっきりとした言葉を選択することもあります。
 その作為は、言葉の麻薬とうらはらなんだろうと思います。前回は内面を探索することの無意味さを記事にしましたが、それと似たことかもしれません。書くこと話すことで形作られる内面というのもある。自分で吐き出した言葉は、口先だけに済まなくて自分自身の内面を蝕んでいく。言葉の恐ろしさはそんなところにもあります。

知る由もない(内心の自由について)

もう半月もまえのことですが、民進党の党首選のときに、どこからともなく蓮舫さんの二重国籍疑惑が問題とされました。反リベラルというお題なら、なんにでも口を挟むおなじみの論者たちが、やかましく騒ぎ立てるのはもちろんですが、そのとき勇ましく騒いだ人々のなかには、特に反リベラルというわけでない人たちまで含まれていたのが、実は、世間に刻まれた差別構造の根深さを表しているように思います。
 たとえば、毎朝の起き抜けに聞くラジオの、パーソナリティの森本毅郎さんは、当時にこの問題を毎朝取り上げ、政治家の二重国籍を「問題だ」と述べていました。この騒ぎを「差別ではないか?」と疑問を呈する岡田党首の反論までも「差別とはちがう。差別とみなすのはおかしい。」とまで述べています。寺島実朗さんのような論者からも同じような意見が述べられ、夏野剛さんなども、二重国籍が問題なのがなぜなのかわからない。という職場の女性に説明して「ふーん、そういう考え方もあるのね」と言わせたエピソードを述べています。法律の条文にあいまいなところがあるのでしょう。あいまいさを嫌うなら二重国籍が問題となるのかもとなるのかもしれません。
 ただ、このことを問題と述べたてる、彼らの思考の枠組みが、排他的な心情から発せられていると思うのです。そして、そのことを彼ら自身が気がついていないようです。日本国籍を持とうとする行為は、たとえ二重国籍だろうが三重国籍だろうが日本とかかわりを持とうとする態度なわけで、そもそも日本を貶めようと日本国籍を取得する行為があるだろうか?と想像してみましょう。
 これは、前提条件がそもそもおかしいのです。国内で語られる粗雑な安全保障論が「すきあらば、隣国は海を渡って日本を占領しようとたくらんでいる」という、きっかいな大前提から始まるのと似ていると思いました。民進党の党首選がおわれば、世論調査の数字は、蓮ほうさんの二重国籍を問題ではないと述べた回答が過半数でした。あたりまえのことで、父親か母親のどちらかが外国人であるなんて子供がクラスメートにいる。なんてことは都市でも地方でも珍しくもなんともありません。マスコミ報道の騒ぎは、いまでは、時代の変化に思考がついていけないおじさんたちの不安を代弁しています。
NHKアニメワールド おじゃる丸 | おじゃる丸となかまたち

かつて、NHKの子供番組に「おじゃる丸」というアニメがあって子供とよく見ていたものです。その個性的な登場人物のなかに「ほしの」という宇宙人の一家がいました。かれら一家が地球にやってきた目的は「地球を征服する」ことなのですが、とてもシャイな彼らは、けっしてそのことを言い出すことができません。おじゃる丸をはじめとした周囲の人々(登場人物がすべて善人!)は、そんな彼らの内心など知る由もない。そして、アニメ画面では平和な日常が続いています。相手の内心など詮索してもしようがないことなのです。思想信条の自由と結びつけるのは「内心の自由」の積極的な意味ですが、裏側では、しょせん他人の内心のことなどはわかりはしないし、むしろ詮索などするべきでない。という意味が含まれていると思うのです。
 日本のおじさんたちのきっかいな意識と言動は「おじゃる丸」の善人たちの行動とはまるで逆です。もしも彼らが「おじゃる丸」に登場すれば、彼らは「ほしの」一家に対して、きっと執拗な疑いをかける。やがて、それだけではすまなくなり、登場人物たちを片っ端から疑いにかかるでしょう。そこで「おじゃる丸」の善意の世界は崩壊し、とげとげしい世界に変わってしまう。いらぬ内心の詮索は、世間を世間として成り立たせている「社会への信頼」を滅ぼすのだと思っています。時代の変化に思考がついていけないおじさんたちの不安と、代弁するマスコミ報道の騒ぎに、そんな不安を感じるのです。

意外とおもしろい「さいたまトリエンナーレ」

f:id:tochgin1029:20160925223003j:image 昨日から「さいたまトリエンナーレ」という、現代美術のイベントが始まりました。議会では、これは単なる税金の無駄遣いではないか?なんて疑問のあるようですが、既存の施設を利用して行われるイベントに、それほど過剰さはなくて、一市民としてはとりあえずもイベントが成功することを祈ります。
 で、自宅近くでもそんな展示物をみることができるので、さっそく見学しました。別所沼公園では、大きな船のオブジェが沼のつり人と共存しています。海なし県の埼玉で船?と思うのですが、実はこのあたり、ほんの1000年くらいまえでは内海の端っこだったそうです。そんな土地の記憶をテーマにすれば、海というのはふしぎでもなんでもないテーマですね。
f:id:tochgin1029:20160925223018j:image つぎに、遊歩道をあるくと見えてくるのは、「さいたまサラリーマン」という巨大なオブジェです。これラトビアの美術家の作品だそうです。このあたり典型的な住宅街であって、平日の朝ともなれば、このサラリーマンのまえを無数のサラリーマンが駅に向かって急いで通り過ぎます。そんなサラリーマンにたいする批評のようでもあります。横に寝ころぶ姿は、のんきさや堕落のようにも受け取れます。けれどもその体中に、クモがはいつくばっているのが不気味ですね。これが、毒グモなのだとしたら、毒グモに囲まれているのにもかかわらず、身の危険を全く感じていないのんきなサラリーマンとでも形容するべきでしょうか?非常に毒気とか皮肉の効いた表現なのだろうと思います。
 近くの、部長公邸と呼ばれる家では、作成過程を見せる作品が展示されています。近くの係員に聞けば、白く塗られた壁に描かれた鉛筆画を、やがて会期の終盤に、みんなで消すそうです。美術の作成と崩壊までを題材とするのですね。そういえば、近代まで美術が相手とするのは、静止した世界のことですね。けれどもここでの作品は、生成されてから消去されるまでの時間軸をも作品として取り込もうとする試みのようです。
 そして、もうひとつの公舎では、家の備品をまるまるアートとして見せる試みを展示していました。この作品の主役は「家そのもの」なのです。中にはいると、ただの備品であるテレビやレコードが突然に鳴り響きだし、ベランダにイヤホンを差し込めば、いきなり住人家族の会話が流れてくる。そういえば、この家は職員のための住まいでした。職員は転勤すれば、この家の主たちは次々と変わっていきます。そうして通り過ぎていった家族たちの記憶を、この家は覚えているのです。
 こうやって、読み解きならが眺める現代美術はとても楽しいものです。となりでみていた家族は、こういった作品は、とかくちんぷんかんぷんな代物なのでしょう。係員に「そもそもこれはなんなのか?」と質問する家族がいましたが、それでいいのだと思います。そういえば、わたし自身が、今日眺めた作品の作者が誰なのかさえ全く記憶してません。このような現代美術の楽しみかたは、そんな日常の視点を、ほんの少しだけずらすことで現れた「非日常」や「ちんぷんかんぷんさ」を、そのまま楽しむことなのだと思います。

川の流れのような道(中山道を巡る3)

f:id:tochgin1029:20160903171528j:image 宿のご主人は、私が街道歩きをしていることがわかると、いろいろな話をしてくれました。とりわけ大津祭の話になると熱く語っていたのが印象的でした。山車の車輪を修理するのは、非常にお金がかかるということ、高齢化で自治会に14件しかないので、自治会費が高額になるとか。重要文化財に指定されれば役所から補助がでるらしく、やりくりは楽にはなるのだが、その分だけ監査が厳しくなるらしい、自由さはなくなると語っていました。大津に落ち着くまでいろいろい苦労もしたとかいう話は、実に戦前までさかのぼりますので、一見若くみえるご主人は、とうに70を越えているのですね。
 さて、大津の宿の近くにある三井寺に立ち寄りました。堂の中には仏像が納められています。江戸、室町、鎌倉、平安と、やっぱりそれぞれ時代ならではの特徴が見えます。平安時代の仏像はどこかエキゾチックな風貌です。それが、鎌倉時代になるとリアリズムが生まれてきます。そのリアリズムは、室町時代では劇画のようなデフォルメが入ってくる。そして、江戸時代では形式的になる。デフォルメがリアリズムを飲み込むのですね。
f:id:tochgin1029:20160903172021j:image道に戻り、大津から京都までの道に入ります。行程の最初は、となりに京阪電車を見ながらの行程です。JRが京津の間を長いトンネルで一直線に越えるのにくらべ、京阪電車はといえば、うねうねとした道路と一体になって登っていきます。たぶん相当な急勾配でしょう。
f:id:tochgin1029:20160903172035j:imageその途中に蝉丸神社があります。百人一首でおなじみの、蝉丸にちなんだ神社です。蝉丸は天皇の皇子であるにも関わらず、盲目だということで帝になる道は絶たれ僧形にされ、捨てられたも同じような状態で、この地にわびしく暮らしていたとのことです。いまでも、この神社の付近はわびしい雰囲気が漂っていますが、不思議とそこには怨恨の匂いは感じられません。わびしい場所で、蝉丸が吟じる唄はまるでブルースのようだったのでしょう。だからこそ呪いや祟りにはならない。NHKの紅白歌合戦で「うたの力」というキャッチフレーズが掲げられたことがありますが、いやいや本当の「うたの力」とはこういう事なんだろうと思うのです。なお、蝉丸は日本の芸能事の祖とされているとのこと。
f:id:tochgin1029:20160903172201j:image山を越えれば山科の街に入ります。大津と山科の山道には、かつて石がしかれていて、自然なのか人為的なのか?車輪が踏みつける場所が二本の溝状になっているさまを車石と呼んでいたそうです。途中の寺では模型が置かれています。そして、京都~大津の間は、年間15000台もの牛舎が通行していたそうです。大津からは琵琶湖の水運への積み替えもあったこともあり、たぶん相当に交通量が多かったのだろうと思います。いまだって隣を通る国道の交通量はものすごい。とうに時代が変わっても、道の重要性が全く変わっていないことも気づきます。
f:id:tochgin1029:20160903172225j:image 山科でいったん山を降りた道は、街をでて再びの登りに入ります。このへんの国道を、かつて中学生の修学旅行で訪れたときに、バスで通ったことを覚えています。その時、隣を走っていた京阪電車は、いつのまに地下鉄に変わっていて、なんのへんてつもないバイパス道路の風情に変わっています。九条山を越えるあたりは旧道に入りますが、家は新しいものであっても、集落の屋根の連なりの様子は、まるで広重が描いた街道風情のようです。山をおり蹴上までいけば京都の街に入ります。たくさんの観光客と遭遇します。東京ほどではなくても、最近は京都の人の多さも相当のものです。
f:id:tochgin1029:20160903172403j:image三条大橋に着きました。これまで通った道を思い出して、感慨にふけるのかといえばそうでもなくて、意外にも淡々とした心地なのですが、これから京都観光をするという気もなく、ずっと鴨川の流れを見ていました。鴨川というのはぼーと眺めるのにちょうどよいサイズの川で、右へ川が流れているのを見ながら想います。地を這って身体を使って歩いた東京と京都の行程は、たしかに自分の世界観を変えたように思います。車や新幹線の窓から眺めた景色が世間のすべてではないこと。コンピュータの画面から眺める景色が世間のすべてでないこと。地を這いながら、年も格好も性別も違ういろんな人たちが、同じ空の下でそれぞれ暮らしていること。あたりまえですが、そんな世間の広さを体感した旅だったのです。