鹿島コンビナートの労働と社会

 地元の古本市で、中岡哲朗さんという方の「コンビナートの労働と社会」という本を掘り出しました。もう40年も前に書かれたものなのですが、これがなかなかにおもしろく、古本あさりの冥利につきるのですね。

 この本が書かれたのは、1974年石油ショックのすぐ後で、当時最先端の技術を誇った鹿島コンビナートについてのルポルタージュです。強調されているのは、ほぼ完全にコンピュータ制御された石油化学工業では、もはや広大な敷地の中に人の姿はないこと。そして上流部で石油を加工して生成される、各種石油製品を製造する各工場の間は、物理的なパイプでつながっていて、各工場を運営する企業同士に、もはや一般的な営業活動は必要がなくなる。各企業の利益は、トップたちの政治的駆け引きによって決まると。このような現象は、40年前は、もっとも最先端の出来事だったのでしょう。

 で、その政治的な駆け引きは、鹿島で行われない。本社のある東京で決まっていくから、実は地元に経済的な利益は、それほどもたらさないということです。工場の労働者についても同じことです。各企業はコストを考えて、地価の安いへんぴな場所に社宅を建てる。ほぼ陸の孤島ともいえる社宅にすむ主婦は、買い物ひとつするにも、会社が走らせてくれるバスに乗って、商店の発達した町まで出かける。わざわざ、東京まででかけることさえあるとのことです。今であったら車は必需品でしょう。都市的なライフスタイルになれた社宅族には、ここ鹿島での生活は、非常に不便で寂しいものだったようです。地元にはコンビナートの従業員の子供を当て込んで、高校が整備されましたが、社宅族の子供は、せっせと塾に通い、離れた町の進学校に進む。社宅族の暮らしのなかに、地元で用を足すということがまるでなかったようです。

 もとからの住民は、土地を手放すことに同意するかわりに大きな補償金を得ました。そのことが、共同作業で成り立っていた農村集落のライフスタイルを破壊する。専門的なノウハウが必要で、機密保持も要求されるコンビナートの保守作業に、地元企業が参画する余地はなく、結局地元住民がコンビナートで得ることのできる働き口は、雑務的な下請け作業しか残りません。地元の高校生も、3交代の夜勤作業はいやがるし、働き口として人気はない。もともと、地元世帯にはそこそこお金はあるし、いやなだけで働き口そのものはある。なるほど、中学生の小遣いを調べたところでは、社宅族に比べ、地元住民の子供の小遣いが異常に高額であったそうです。地元の高校や中学生はこらえ性がないのでしょうか、工場に就職してもすぐにやめてしまうという、先生の悩みが打ち明けられています。そんな地元の人たちの生活態度はどこか刹那的です。

 地元の人にとっては、農作業=生きることだったので、離農した元農家の人たちは、土地を手放すことは、生き甲斐をなくすことに近のでしょうか。その反面で、地価の上昇という形で、持っている土地の価値があがったという錯覚にとらわれる。土地への執着心だけは、不自然な形で増幅されます。関東近郊に転居したサラリーマン世帯が、地元住民に対して、意地汚いなと思う悪い感情というのは、大金を得るかわりに農地を奪われ、土地の価値だけが頼りだ。という生き方に対する嫌悪の感情なのだと思います。

 で結局、コンビナートというものは、地元になにか利益をもたらしたのだろうか?と中岡さんは疑問を呈しているのがこのルポの基調になっています。誘致を住民に説得させるため、ことさら農漁村のまずしさを強調し、コンビナートができて豊かになるかのような神話が作られていました。2014年のいまでは、この話が、原発立地にともない地元に対して、まっとうな経済活動の取引に基づかない多額の金をわたして黙らせる。ここでも同じ解決法をとっているのですね。渡した相手の金銭感覚をまひさせ、地域社会を破壊する。渡す側の無自覚さが恨めしいですね。