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坂また坂の十三峠(美濃路を歩く(その1))

 木曽路を過ぎ大井宿まで到達したのは9月の頃でした。その後、いろいろと気にかかることも片づいたので、中山道のつづきを久しぶりに歩きたくなりました。進めば進むほど自宅からは遠くなるのがこの旅の宿命ですね。さすがに、今回は現地まで新幹線を使って向かうことになります。
 冬の旅のいいところは、晴れて空が澄んでいると、遠くの風景までがくっきりと見えることです。途中の富士山の景色はやっぱりきれいなものです。f:id:tochgin1029:20151223093148j:image
 朝の9時に大井宿に着きました。少し歩いて市街地を離れると、小さな観音どうがあります。ここから、しばらくいくと、十三峠入口という碑がたっていて、ここから山道に入ります。f:id:tochgin1029:20151223093225j:image
 十三峠を構成するひとつひとつの坂道は、実はそれほど急ではありません。そして、道の多くはわりかし広く作られていて安心して歩くことができます。f:id:tochgin1029:20151223093343j:imageこのあたりの一里塚は、比較的に往事の状態が残されているようです。そういえば、いままでの道中で一里塚には興味がなく、石碑ばっかり注視していたのですが、それは間違いで一里塚の主役は塚なのですね。
 しばらくいくと、広く開けた土地があります。そこでは、かつて多くの茶屋が建っていたところのようで、その茶屋の屋号ごと碑が残されています。ただし、このあたり隣の建設業者が発するスピーカーがやかましく、興ざめするところです。
 この十三峠の道中は、数えるのもいやになるような坂がいちいち名前がつけられています。けれど、坂と坂の間には、のどかな集落の風景が現れます。いわゆる里山の風景ですが、単調な上り下りの間では、この風景にそうとう心理的に助けられました。 しかし、この十三峠の道中は、ほんとうに人が少ない!いきあったのは、60代と思われるグループのハイキング客や、トレイルランのふたり組だけです。f:id:tochgin1029:20151223094107j:imageそうこうしているうちに、大湫宿につきます。この大湫宿も、いまはなんてことのない田舎の集落ですが、かつての活気があったころを想像できるように、宿の雰囲気が適度に残されています。本陣の跡地のふきん、かつての小学校が上から見下ろすように建っています。学校教育は「近代化」の名の下に、お上からおりてきたものが始まりでした。一方で宿のすみには「高札場」というものがあって、庶民へのお触れ書きが上から掲げられています。小学校が集落を見下ろすのも、高札場に掲げられた札が上から下に向けて掲げられているのも、高いところから庶民を見下ろすさまは同じ。どれだけ社会が変わっても、人と人との関係がフラットにならない、この世の中のありさまは、こんな山の中にも現れています。f:id:tochgin1029:20151223094218j:image
 おおくて宿から細久手までは、ひかくてき楽な道中です。十三峠を歩き通したあとの琵琶峠の道は、いったいどこが峠だったのかわからないほどの、ほぼ楽勝ともいえる道です。この近辺は石畳がかなり熱心に復元整備されていることに感心しました。そして、岐阜県内の中山道は、今まで通過した県のなかで、もっとも案内板がしっかりしています。中山道の存在を、まるで無視するかのような自治体も他県にはありましたが、このあたり岐阜の担当の方々には感謝します。
 人里はなれた山だからこその施設も点在しているのが、このあたりの特徴かもしれません。途中には養鶏場や犬の訓練場、あるいは私設のサーキット場といった、大きな音を発する施設が多いのも特徴かもしれません。細久手宿の手前からは真っ白な御嶽山が見える場所がありました。f:id:tochgin1029:20151223093746j:image
 細久手宿につけば、ここで今日の行程は終わりです。往事のまま営業を続けている、大黒屋さんという宿に泊まります。