2016-01-01から1年間の記事一覧

ブラジルの大西洋岸を感じさせる音楽(エグベルトジスモンチの音楽について)

昨日、練馬文化会館で行われた、エグベルトジスモンチのコンサートに行ってきました。その興奮に任せて書いていますのでご了解ください。 本当はこのコンサートは、ナナヴァスコンセロスとのデュオとなるはずでしたが、ナナが亡くなってしまい、急遽、ジスモ…

シティポップの盛衰(ピチカートファイブの「闘い」について)

Youtubeで検索すれば、有名無名なさまざまな歌手の曲をなつかしく聴くことができます。一部分のフレーズだけを覚えていた聴いたことがある曲と偶然に出会うのはけっこう楽しいものです。私にとっては、70ー80年代に業界のある部分を占めていた「シティポ…

人間が真ん中でない(来迎図と地獄絵の世界観)

伴大納言絵巻の他にも、出光美術館の50周年の記念展示は力が入っていて、興味深い数々の絵巻物や屏風絵などが展示されています。時代別に3期にわかれた展示のうち、第1期である今回の展示は、だいたい鎌倉~南北朝までの作品が展示されています。たとえ…

「伴大納言絵巻」から読み取る

出光美術館は、中世に描かれた絵巻物や屏風絵、いわゆるやまと絵が多く展示されること多くて、好きな美術館のうちのひとつです。公立の美術館の多くが、採算ベースに載るように集客に力を入れるばかりに、ゆったりと展示を楽しめる環境でなくなっているけれ…

自由と平等を賭けた明治維新(中公新書「谷干城」)

今週になり「パナマ文書」と称する書類の内容が暴露され、国際的なニュースとなっています。そこには、ペーパーカンパニーを多数こしらえて「節税」に励む世界的な有名企業の姿が露わになっていて、その中に日本企業も含まれています。企業だけではなく、ロ…

国体教と排除の論理

東西のいろいろな文化を取り込みつつ自分たちのものにつくりかえてきたことが日本文化の特質だと、よく言われますが、ではそういう社会が敷居の低いオープンな社会ではなく、なぜに閉鎖的な社会なのはどういうことなのかと思います。無宗教とされてきた列島…

これは宗教なのだろう(島薗進/中島岳志「愛国と信仰の構造」)

島園進さんと中島岳志さんの対談による、集英社新書「愛国と信仰の構造」という本を読みました。タイムライン上でもさまざまな方が取り上げています。島園さんの名は、原発事故にかんするTweetで、流れてくるものをよく見かけるのですが、本職は宗教学なので…

リテラシーを持たない恐ろしさ

今朝のラジオで、推薦入学を申し込んだ生徒に、担任がサーバーに保存された誤った情報をもとに推薦を拒否して、それを苦にした生徒が自殺をしたとニュースが流れました。痛ましいことです。 先生に限らず、現在は事務職であれば、ITの様々なデータベース情…

真っ黒い岐阜の街(東と西が交差する旅2)

岐阜の市街地は実は案外広くて、駅のあるあたりから、鵜飼いで有名な長良川のあたりまでは、けっこう離れています。離れたところを最近まで路面電車が走っていましたが、いまではなくなってしまいました。残念なことだと思います。岐阜では、鵜飼い観光船に…

圧巻の日本ライン(東と西が交差する旅1)

中山道を巡る旅は、長野県を過ぎて岐阜県まで進み、東濃と呼ばれる地域を過ぎたあたり、美濃太田宿まで歩いたところです。今回はその先を進みます。 このあたり、かつては「日本ライン」と呼ばれた、木曽川の川下り観光がかつて盛んな地域だったのですが、二…

なんでも「お国」を前提とするわたしたちの思考の歪み(講談社新書「アイヌ学入門」)

関東に住む私にとって、アイヌの人々というのはけっして身近ではありません。北海道土産の民芸品のなかに、アイヌ文化の香りを感じるくらいです。最近では「アイヌ民族は存在しない」などと発言する議員があらわれる始末だし、80年代には、当時の中曽根首…

幸田露伴の「五重塔」に近代的自我を見る(橋本治「失われた近代を求めて」番外)

橋本治さんの「失われた近代をもとめて」のシリーズをもとに、口語体と文語体との関係を考えています。では書き言葉と話し言葉は太古の昔から異なっていたか?といえばそうでもなく、谷崎潤一郎は、平安時代に話されていた言葉が、源氏物語に代表される当時…

本当に日本語の進化だったのだろうか?(橋本治「失われた近代を求めて3」)

夏目漱石の「坊ちゃん」はいまでも、多くの人に読まれる作品ですが、視点を変えれば、前近代と近代の対立をベースとして描かれた小説です。勉強が嫌いなくせに先生をする主人公の坊ちゃんは前近代の方。反対に、赤シャツと呼ばれる教頭は、話のはしばしに洋…

まだ成熟していない(橋本治「失われた近代を求めて」)

すぐれた文章表現のことを、橋本治さんは「文章そのものが語り出す」と述べていました。成熟していない口語体は、文章と書き手の間に、自身の実存を込めなければ表現にならなかった。だから口語文が生まれたばかりの頃、作品で自分の事を語るような小説ばか…

実は凄かった田山花袋の「蒲団」(橋本治「失われた近代を求めて1」)

橋本治さんが書かれた「失われた近代を求めて1ー3」のシリーズをこの正月に読んでいました。読んでも読んでも読み切れないくらいの本を橋本さんは書かれていて、現在でもつぎつぎに新しい本が刊行されている。この「失われた近代」で橋本さんが対象とした…