一億人を「仲間」と思わせるものの正体

 テレビやマスコミでいう「仲間」とか「絆」の胡散臭さは、このところずっと気になっていることです。一般的には、これを江戸時代の封建社会や、村社会に起源があるものと思われています。

 私も、少し前まではそう思っていました。過酷な封建社会のなか、農民たちは耐えながら日常を暮らしていたのか、と思っていました。が、網野善彦さんの歴史書を読めば、決して、農民すべてが過酷な暮らしをしていたわけでもない。また、宮本常一さんの書からは、庶民たちは、集落の仲間たちと協力して自分たちの暮らしをよりよくしていくよう工夫していたこと。それは、公儀とかお上のいうこととは何の関係もないことであることがわかります。士農工商といった身分制度こそありますが、この制度の本質は、上下の差別ではなく、それぞれの身分同士は別な社会であったということです。武士と農民、商人たちはそれぞれをけっして「仲間」だなどとは思わなかったでしょう。 では、一億の日本国民をすべて「仲間」と思わせるものそれは何か?やっぱり70年前の総力戦、が起源ではないかと気がつきました。みな身分や資産の有無に関わらず徴兵されて戦地に行かされた。ある意味では平等ですらあります。国内に残った庶民たちは「ほしがりません」とか、ありとあらゆる標語によって、戦争へ注力するという一体感を植え付けられました。地域の民俗資料館に行けば、戦時中の標語のはいった鉢巻が展示されています。

 そういったプロパガンダを、大手マスコミが担っていることは、実は当時も今もそう変わりはないのかもしれません。