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浮世絵の巨人たちと前近代(橋本治「ひらがな日本美術史6」)

ひらがな日本美術史 6

 橋本治さん「ひらがな日本美術史」の第6巻、取り上げる時代は幕末。江戸の町人文化が成熟した時代で、集大成とでもいうべき浮世絵の巨人たちが活躍する巻です。橋本さんが綴る江戸の町人文化には、かつて「江戸にフランス革命を!」に圧倒されました。日本の近代化を準備したという視点で、江戸末期がいっこうに省みられないのに憤りを感じるのが橋本さんの視点で、そんな橋本さんにとっては、このあたり一番かきたい時代なんだろうなと思いました。ここで主に取り上げられるのは浮世絵の巨人たち。葛飾北斎歌川国芳歌川広重です。

 画狂人とも自称する北斎は、自分の描きたいものをすべて絵に表さないと気が済まない絵師だったと。だから、現在でも北斎の名作とされる作品のほとんどは、北斎が50を過ぎて残した作品です。若いころの作品は、どこか自分の描きたいものに技術が追いつかないのだと。ここで取り上げられた「絵本隅田川両岸一覧」では、見開きの絵はそれぞれに独立しながらも、絵巻物のように繋がっているんですね。そして、富嶽36景はいまでこそ風景画のように見られるが、もともとは富士を主役とした36相の画なのだと。画はともかく北斎のすごさのひとつには、自らフォーマットを生み出したことがあげられるでしょう。
 国芳は着想とアイデアのおもしろさなんだろなと思います。四天王のバックに土蜘蛛たちがばっこするのは、当時の「天保の改革」批判でもある。もちろん当時は、おおっぴらに公儀である徳川の治世を批判することはできないので、故事に仮託させながら批判する。そして「宮本武蔵の鯨退治」に描かれる巨鯨は、黒船を予感させるかのように巨大なんです。通俗的な歴史の理解では、黒船がきて鎖国の世が覚醒したかのように思われていますが、決してそんなことはない。国芳の中では時代が大変化する予兆のようなものがすでに感じられていたのかもしれません。そして、国芳にその着想を描ききる技術があるのはもちろんです。
 一方で、広重については、必ずしも技術的に優れているわけではないらしく、歌川の門人になったものの、彼には迫力のある人物画はうまく書けなくて、ぱっとしなかったそうです。あの東海道53次のシリーズにしても、自ら意欲的に描いたとうよりは、たまたま誘われた仕事に乗っかたものでもある。その欲のなさと淡々としたところが、かえって風景画にはマッチしたのだと思います。各宿場に描かれた人物たちは、故事になぞらえていたりするそうで、必ずしも実際の宿場をありのままに描いたわけではないです。
 現在でこそ巨人とされている彼らも、同時代の浮世絵の絵師として異端児だったということは、現在からみて重要なんだと思います。一人前の絵師になるには、門にはいり誰かの弟子になり腕を磨く。あくまで職人としての性格が強いのですから、決してオリジナリティや個性を求められるものではない。そんななかで描きたいものを追求することで、時代からはみ出した北斎。時代に敏感で、それを高い技術で描ききった国芳。人物画がうまく描けずに、風景画を描いて、叙情性を発見した広重。どれも一般的な絵師からは、はみ出したありようなんだと思います。そしてそのはみ出した個が、近代を予感させるなにかであって、すでに相当のレベルであったということ。それが橋本さんがいう前近代を表しているんだと思います。
 明治になり、美術以外では廃仏棄釈の運動が起こります。御一新のかけ声とともに、それまでの町人文化はなかったことになっていく。その技術の高さやレベルの高さを知るにつけ、もったいないどころかなんと愚かなことだと橋本さんはこの巻を締めます。明治維新がなければ、いつまでも未開の江戸時代がつづいたかのように理解されているが、本当はそうではないのかもしれません。明治維新によらない日本の近代化は、実は可能であったのではないか?ということを思い知り、本当に驚きました。
 この巻末には突然、縄文時代の土偶が取り上げられているのが不気味なほどです。なぜ、ここで縄文を取り上げれるのかといえば、縄文文化の存在が知られるのは、あくまで明治以後の考古学によってなので、同時代の現象ではないんですね。それまでの海外文化を取り入れながら、メルティングポットのように溶かしながら、取り込んで自分たちの文化にしてしまう日本の文化の特質は、西欧近代が一度に大量に流入することで壊れてしまったのだと、橋本さんはいいます。江戸時代と明治時代の間の問題は、政治だけではなくて、社会や文化の切断の問題とも思います。