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人間が真ん中でない3(絵画とヒューマニズム)

 出光美術館の50周年展示も、三回目の最後の展示に入りました。今回では取り上げられる絵は、江戸時代の作品が中心です。江戸時代といえば、浮世絵の展示が取り上げられそうですが、ここでは、歌麿北斎もそれぞれ一点ずつという控えめな展示。もっとも展示作品数の多かったのは、狩野派だったり琳派だったろうと思います。たとえば琳派なら、どこかに現代のデザインやイラストに繋がる感性の源流が見えます。決して江戸が停滞の時代だったわけではないこと示すものだと思います。
 会場でまっさきに目に入るのは、都を描いた二種の屏風です。ひとつは桃山時代の「祇園祭礼図屏風」もうひとつは江戸時代の「洛中洛外図屏風」絵の主役は、京都の町の町衆たちです。桃山時代ならではでしょう。絵のなかにかぶき者らしき奇抜な出で立ちの武士たちが登場していますがここでは主役ではありません。この町ではよそ者として描かれているのです。それに比べると内裏の公家たちは地味に描かれていますが、かぶき者達に比べれば、住人として町にとけ込んで描かれています。江戸時代になると京の街には二条城が建ち、目立っていますが、これも異物感ありありですね。
 江戸の街を描いた「江戸名所図屏風」でも、洛中洛外図屏風と同じように、絵の主人公は江戸の町人たちです。神田や日本橋も人であふれかえってにぎやかです。けれども、江戸城の主、大名屋敷の武士たちの姿は、雲にかくれてみえません。江戸の町の大方を占めているはずの大名屋敷の存在は隠されている。かぶき者が目立ち、貴族たちも町にとけ込んでいる京都にくらべると、権力者たちがこそこそとしている、江戸の町がまだまだ成熟度していない様がわかるようです。
 そんな奇抜な武士たちのいでたちが、基本的には平安末期から江戸時代初期までほとんど変わっていないことにも気がつきました。伴大納言絵巻に描かれた、大納言を逮捕するため邸に向かう武士たちのいでたちは、赤の鎧が目立つもので奇抜にうつりますが、江戸のかぶき者たちとそう変わっていないように見えます。そしてかれらは町を歩いたときに目立つけれども、町中のかれらの存在の異物感も変わっていない。
 江戸幕府はときどき、公所良俗に反するという名目で、天下に批判的な書物や、風紀の乱れをとりしまっていました。そのあおりで、三宅島に島流しにあったひとりの絵師がいました。英一蝶という絵師の絵を見てびっくりしました。展示された絵は、彼が島流しのさなかに江戸の生活を想い描いた絵です。皆がどんちゃん騒ぎをし、楽しそうに踊っている絵の登場人物がみなゆたかな表情なのです。近世になって絶滅したと思っていた。生きた人間がど真ん中に存在する絵です。彼の経歴をネットで調べれば、狩野派に入門しながら破門されるような、奔放な生活をしていたそうで、島流しにあいながら子供はつくったとかいうたくましい面も持っています。

 狩野派でも琳派でも、江戸時代では、絵師個人よりは、絵の流派のほうがきっと大きな存在だったのでしょう。現在にも名の残る絵師たちは、そんな流派のワクからはみ出してしまった特別な存在なのであって、特別な才能もない絵師たちは、個として才能が認められることもなく、流派のひとりとして埋もれ一生を終える。

 だから、会場でも多数展示されていた琳派の絵にすばらしさは感じてもヒューマニズムは感じません。そこに「流派」という集団はあっても、そこに「絵師」個人の存在は薄い。けれども、英一蝶の作品「四季日待図巻」を見て、どっこい江戸の世に、ヒューマニズムがきちんと描かれた絵が存在することに、びっくりしたのです。
 出光美術館の「日本美術史」の歴史を概観する3回の特集展示で感じたのは、時代を経るに従って人間の存在が隅においやられていく歴史を感じざるをえません。それは、個人の自由よりも集団の規律が優先される世の中とシンクロしています。でもヒューマニズムは滅んでしまったわけではなくて、見えていないだけなんだということも確か。人々が屈託なく笑い泣く中世の絵巻物や、英一蝶が江戸を想い描いた図のなかに、絶滅危惧種のようにヒューマニズムを見つけ、ホッとしたのです。