ディスリンピア2680(東松山「丸木美術館」)

f:id:tochgin1029:20180709224530j:image 丸木位里・俊夫妻の作品「原爆の図」が常時展示されている東松山の丸木美術館は、前々から訪れてみたかった場所のひとつです。けれど、東松山の外れ、電車やバスで行くに少し不便な場所にあるこの美術館は、訪れるのをおっくうに感じるような場所に建っています。そんな場所に行こうと思ったのは、たまたま東松山の市長選に安冨歩さんが立候補して、選挙活動の中で安冨さんが丸木美術館を訪れ「ここから始まる」といった趣旨のことを述べていた(勘違い?)ように思います。その言葉でなぜか腰が浮いて、やっと訪れることができました。つきのわ駅を降り、なんの変哲も無い道路を30分ほど歩けば到着します。意外にもこぶりな美術館です。2階が常設展示らしく1階が企画展示のスペースのようです。
2階で初めて目にした「原爆の図」は衝撃的でした。被爆して死に至ろうとする人たちが描かれた絵は、どれも巨大屏風絵のようになっていて、それが10作以上もの連作になっています。どの絵も中心になるのは、被曝して死の淵をふらふらと彷徨うたくさんの人たちです。これをみて連想したのは、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」をはじめとした戦争画と呼ばれる一連の作品群のことです。ポエムにならない絵画(藤田嗣治の戦争画) - tochgin1029のブログ

あの時に戦争という題材に魅せられていた藤田が描いたのは、命を失おうとする兵士、屍を乗り越えて前に進もうとする兵士たちでした。その兵士たちの絵からは「国民精神」という戦争のプロパガンダにもなりうる言葉です。戦う意義を見いだして戦争に協力していった文化人や知識人ほど、大まじめに東西文明の戦いとして捉えていました。
驚いたことに、その丸木夫妻の描いた「原爆の図」からも、実はその「国民精神」が浮かび上がって見えたのでした。けれども、それは藤田の描いたような戦う「国民精神」ではなく、被爆して苦しみのたうちまわる人々の姿からたちのぼった「なにか」です。戦前の国家主義と決別するような理念が、戦後の社会に存在すべきだったなら、この「原爆の図」に描かれたような、被爆に苦しみ命を失おうとする人々たちの姿、ここから始めなければならなかったのではないか?とさえ思いました。
 一階に下り、企画展「ディスリンピック2680」を眺めました。東京オリンピックの名のもとに、甲乙丙と人々を選別する日本式の全体主義への批判です。全体主義のもと、一人の人間は集団の部品でしかなくて、たとえ甲でえらばれたとしても、乙に選ばれたとしても良い部品にしか扱われません。ましてや丙に選ばれた人々は部品にもなれず排除される。そのほかに、組体操や富士山。鎧姿の怨霊が矢を放つ姿の絵が展示されていました。どれも全体主義の恐ろしさを表した絵ですが、ここにはヒトラーのようなわかりやすいシンボルはありません。人を甲乙丙と選別する主体はここに描かれていません。組体操を強要する主体もここには描かれていません。そう、日本式の全体主義には、目に見える明確な責任者はいません。いったい誰の指図で命令で人が人を選別や排除しているのか誰もわからないまま全体主義がはびこること。その恐ろしさに戦慄しながら丸木美術館を出ました。
 とうとう、戦前の国家主義と決別するような理念は戦後の日本には生まれませんでしたが、戦後を象徴する理念になり得ただろう事物をいくつか想像できます。この丸木位里・俊夫妻が描く「原爆の図」での人々の苦しみもその1つではないでしょうか?

本来なら、この原爆の図の連作は、国立近代美術館の玄関正面にでも展示されるのにふさわしい作品ではないだろうか?と思っています。