木曽谷の江戸時代(木曽の終わりの旅(その3))

朝起きて外を眺めると、限りなく怪しい雲行きでした。雨天中止のつもりはないけれど、できれば傘も差したくないし、雨合羽も着たくはないので、早々に宿を出発することにしました。 中津川が、人口の規模に比べて大きな町のようにかんじられたのは、市街地の…

山道を下りる(木曽路の終わりの旅(その2))

南木曾駅の裏が昨日の終わりで、本日のスタート地点です。天気が悪い日が続くなかでは、日差しが入るのは珍しいことで、朝のまだ静かなコース沿いは、歩くのがとても気持ちがよいです。妻籠までの上りは、人家の途切れることはありません。木曽谷の宿場はど…

うんざりするほどの道(木曽路が終わる旅(その1))

続けてきた中山道を歩く旅は、木曽谷を歩く行程も、ようやく終わろうとしています。歩いても歩いても両側には、切り立った山々がつきることがないほど、うんざりするほどの単調さですが、それも終わろうとしています。前回の終点、須原宿が今回の旅の始まり…

8月30日 国会前へ

わたしが、国会前をたびたび訪れるようになったのは、原発反対への抗議行動以来です。特にめずらしいことではないでしょう。反原発の盛り上がりは、2012当時に比べておとなしくはなりましたが今も続いています。国会前にいくときは、国会議事堂前駅の混…

「世界はこのように見えた」の歴史(橋本治「ひらがな日本美術史」番外)

橋本治さんの「ひらがな日本美術史」全7巻を読み通しました。美術史を語りながらも、ここで描き出されたのは、図らずも日本精神史のようなものかもしれません。弥生、平安、鎌倉、江戸・・・とそれぞれの時代に現れた時代精神というよりは、庶民にとって「…

私の談話(のようなもの)

昨日は終戦の日いや敗戦の日でした。本当の終戦の日は降伏文書に調印をした9月2日とするべきと、人によっては言いますが、先祖の魂が家に戻ってくるお盆という風習の最中で、こうした日が毎年やってくることは、偶然なのか作為があるのかはわかりませんが…

江戸の人つながり(松尾芭蕉「奥の細道」「曽良旅日記」)

岩波文庫版の「奥の細道」を購入すると、巻末に「曽良旅日記」という名称の、松尾芭蕉に付き添った曾良が書いた日記が付いています。これを読むととても興味深いことがかかれていて、松尾芭蕉の本編よりも、実はこちらのほうがおもしろかったりするのです。…

迷走する近代(橋本治「ひらがな日本美術史7」)

橋本治さん「ひらがな日本美術史」も最終巻まで到達しました。これまでの記事でもたびたび取り上げた、橋本さんの近代批判の論旨は、すでに江戸末期の時点で、日本の社会と、それを成り立たせる技術なんかは、そうとう成熟されていたということで、黒船と「…

浮世絵の巨人たちと前近代(橋本治「ひらがな日本美術史6」)

橋本治さん「ひらがな日本美術史」の第6巻、取り上げる時代は幕末。江戸の町人文化が成熟した時代で、集大成とでもいうべき浮世絵の巨人たちが活躍する巻です。橋本さんが綴る江戸の町人文化には、かつて「江戸にフランス革命を!」に圧倒されました。日本…

ブラックジョークっておもしろいですか?

この頃、ブラックジョークというものに笑えなくなっている自分を発見しました。ほんの数年前なら気軽にわらいとばせることも、とても笑いとばすような気分になれない。新しいお笑い芸人などは、テレビからいっぱい登場しますが、それだってあまりおもしろい…

モダニストの好きな建築(ブルーノタウト「日本美の再発見」)

前回の記事で桂離宮を取り上げました。橋本治さんが嫌いだったという桂離宮の賛美が、どこにあったのかと想像すれば、ブルーノタウトの著作あたりでしょうか。未読でしたので、どのようなものだろうかと読みました。 ドイツ人のブルーノタウトが日本を訪れた…

絵師と抑圧(ひらがな日本美術史5)

橋本治さんの「ひらがな日本美術史」ようやく5巻まで読み進めました。江戸時代まで到達し、いまでも途切れることなく展覧会で取り上げられている絵師たちの作品が登場します。ですが、そこは橋本さんの解説のこと、単純に賛美するではなく、紆余曲折した思…

桂離宮と悪意「ひらがな日本美術史4」

いわゆる「和モダン」の原点として、桂離宮は位置づけられているでしょう。まるで、現代建築かのような写真が雑誌に載ります。橋本治さんは、そんな桂離宮に、ずっと反感を持っていたそうです。というよりはその取り上げられ方の権威的なところが、嫌いだっ…

死人のように生きている(イザベラバードの日本奥地紀行)

イザベラバードの日本奥地紀行という紀行文は、英国人女性が140年前の日本の関東から東北地方をぬけ、蝦夷の地までを旅行した記録です。一般的には、文明開化が華やかで、西欧の書物が大量に導入された時期であること。そして、政府が雇ったお抱え外国人…

現実にはありえない風景

山水画では深山幽谷が、よく描かれます。ですが、そこに描かれるのは、決して実在しない景色です。平安時代の貴族たちののほほんとした社会から、武士たちの社会に変わっていったときに、新たな世の支配階級である武士たちは、平安よりも中国から輸入された…

あの世とこの世の境(いとうせいこう「想像ラジオ」)

いとうせいこうさんの「想像ラジオ」という小説を読みました。大震災のあとに、その影響下でたくさんの小説が書かれました。この小説もそのなかのひとつで、四年後の今になって文庫本になったようです。小説は、津波に流されて、この世とあの世の境目をさま…

追悼 オーネットコールマン。

一昨日、ジャズミュージシャンのオーネットコールマンがなくなったという訃報が流れました。最近は来日の予定だったのがキャンセルになり、おそらく体調がよくないのだろうと想像していたのですが、残念ですね。ご冥福をお祈りします。 オーネットの音楽にふ…

奈良時代「私」のゆくえ(橋本治「双調平家物語」2)

「天皇は悪くない。悪いのは君側の奸だ」という大義は、近代では226事件の反乱将校たちにも使われた、日本における反乱事件の常套句です。権力者そのものを問わずに、周囲の側近たちが諸悪の根源だという、その屈折した理屈のわかりづらさは現在も引き継…

清盛義仲頼朝(橋本治「双調平家物語」)

橋本治さん「双調平家物語」少しづつ読みながら、最後の16巻、治承の巻、最後まで読み通しました。平家物語といいながらも、取り上げる時代は、越の国からやってきた、得体の知れない男(継体天皇)の話から、平家滅亡まで、奈良の都から平安の都への王朝…

バブル経済前夜の雰囲気(田中康夫「たまらなくアーベイン」を読んで)

たまらなく、アーベイン田中康夫さんの「たまらなくアーベイン」と言う本を、なんの弾みか、アマゾンでポチってしまったのです。内容はといえば、男女の恋愛ゲームに関するエッセイと、70年代~80年代にかけた洋楽AORのアルバム紹介が混じって綴られ…

投資家目線などいらない(橋本治「乱世を生きる」市場原理は嘘かもしれない)

乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない (集英社新書) 先月から、箱根山の火山活動が活発になり新聞紙上をにぎわせています。昨年、木曽御嶽山では突然の噴火で山頂で登山を楽しんでいた人たちが多数なくなったことや、日本列島の火山が、最近は活発化してい…

宮城道雄 随筆集「春の海」

宮城道雄の「春の海」という随筆集と、たまたま古本市で出会いました。「春の海」は、正月になればあれでも聞く、あの琴のメロディーで有名で、宮城道雄はその作曲者でもあり、自身も琴の演奏家です。 彼は目が見えませんので、その文章に、色彩に対しての記…

川面の美しさ(木曽路をめぐる(その2))

木曽福島の朝は、エアコンをつけないといられないくらい寒い朝でした。寒暖の差が半端でないですね。前後左右がわからなくなる木曽福島の街がおもしろくて、朝は、少しだけ街歩きをしました。 街中には木曽川を渡る橋が町中にいくつもあります。橋の上から川…

花いっぱいだった木曽路(木曽路をめぐる(その1))

さすがに、冬の雪道を辿ることなどできないので、中山道を歩くのもすっかり間が空いてしまいました。前回の歩き11月からは半年ぶりとなります。体力が不安なのです。 半年ぶりに降りた奈良井宿は、思いの外に静かでしたね。来週のGWはきっと相当に込むので…

寂しげな香取神宮

香取神宮は、下総の国の一宮とされている神社です。下総の国を特徴づけるのは、あの大きく流れる利根川の景色と、低地と台地が入りくんだ複雑に細かく起伏にとんだ地形のことです。 今でこそ、川魚で生業を営んでいる人など本当にごくわずかですが、かつては…

大阪の街の中空構造(中沢新一「大阪アースダイバー」)

出張などで大阪を訪れたときに、一番の東京との違いを 感じるところは、坂が少なくて平坦な街だなとまず感じます。中心部は、御堂筋を中心とした広い通りが南北に通じていて、それと直角にも通りが交わっている。たとえば東京であれば、通りが整然としていな…

魅惑の坂道(佐倉の街を歩く)

千葉県の北東部の電車、総武線であれば千葉の先、京成線であれば、佐倉駅あたりまで来ると、台地と低地が入り組んだ中を電車が走ります。関東平野は日本でも一番ひろい平野だとされていますが、平らな土地がただただ広がっているわけではなくて、台地と平野…

自己犠牲は美しいだろうか(朝日新聞夕刊連載「ヤマトをたどって」)

今週まで、朝日新聞の夕刊では「ヤマトをたどって」というシリーズ記事が連載されていました。その記事のなかで、手塚治虫の泣いていた姿が記述されています。とある座談会で、ちょうど「宇宙戦艦ヤマト」の映画が、大ヒットした直後のことです。 手塚治虫が…

三島由紀夫と手塚治虫

1月~2月にかけて放映されていた「日本人はなにを考えてきたのか?」という教育テレビのシリーズ番組、三島由紀夫と手塚治虫について連続して放映していたのを見ました。両者は同じ世代ながら、戦争体験というよりも、戦争に対する見方は、両者では全く異…

頭を垂れること(神仏を信じるということではなく)

頭を下げるという行為を、最近は忘れてしまったなと自省します。他人の話ではなく、自分自身のことです。 子供の頃は、だらしがなくて身の回りのことなどきちんとできないなかった私は、毎月のように母親の大目玉をくらっていました。とはいえ、なんで大目玉…